2014年8月8日金曜日

コトバの引き出し


あるお弁当やさんでの会話

店員「ありがとうございます。お箸は1本でいいですか?」

お客「一本では喰えんけん、一膳分」

店員「?」

お客「箸はなあ、1本2本とは数えへんのや。一膳二膳と数えるもんや」

……聞いていて、思わずにやり。このお客さん、元センセかも、なんて思った次第。

こんなコトバ遣いはどこにでもある。「トシは私より1個下よ」「ぜんぜんできた」どうもしっくりこない。なんでもかんでも「かーわいい」で片付ける若者。大衆文化を象徴するコトバと言われたりしたが、いろいろな表現方法があるコトバの中から、適切なコトバを選ぶなんて辛気臭いのかもしれない。みんなひっくるめて「かわいい」ですませるような習慣は、感心しない。コトバはひいては考える力、想像する力や感性を養うことでもあるのだ。

【ことばは神様ことばは何でもこしらえる】のだから、豊かなコトバの引き出しを作り、そこから選ぶことが大切だろう。

書くことが苦手な若者も増えている。貧しいコトバではままならぬのも当然。本を読んでみるのはいい勉強だ。いろいろなことばとの出会いがあるはずだ。そして書くことで磨きをかけていく。

こんなことを考えていると、小さいこどもたちの国語教育の大切さを感じずにはいられない。英語より大切なんだよう!

5 件のコメント:

  1. 教科が理科でも数学でも、教科書はすべて日本語で書かれています。
    ですから、日本語の理解、習得なくしてどの教科も成り立たないと教わりました。

    私も国語がすべての基本だと思います

    言葉を大事にしない人は、人間の心を大切にしない人に違いありません。

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    1. bagusさんのおっしゃるとおりですね。

      この日本語の衰退、何とかならないものでしょうかねえ。
      横文字がハイカラと考えているひとたちも、大勢いて、私など、店の看板だけでは、どんなモノを扱っているのか、分からない店がたくさんあります。
      年寄りなど、相手にしない商売なんでしょうが、悔しいなあ。

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  2. 引き出しに言葉が入っていないんでしょうね。という事は考える事も出来ないという事。

    首相の広島での言葉が去年の引き写しだったという事は、阿部さんも考えを持っていないという事でしょう。言葉も思考も死んでしまった。自分が自分で無くなった。どうしましょう。

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    1. 安倍首相殿は、自分では書いていないでしょう。挨拶などは、部下が書くので、それが、去年と同じかどうかは、分からないのでしょうね。自分の考えをもっていないのか、どうかはしりませんが、形式だけなんですよね。

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  3. それはそうですね。書いた人が去年の物を引き写した。それを知らずに読んだ。なんか軽いですね。

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