2014年8月14日木曜日

燃えぬ夏・終戦記念日


今年の夏は、夏らしい日はほとんどない毎日でした。気温だけは、けっこう高く、暑い毎日ですが、からりと晴れた真夏日は、ほとんどないまま立秋を迎えてしまいました。燃えぬまま、灰になるような夏は、歓迎出来ないのですが、これからも、お盆がすぎても、天気予報図は、雲と傘のマークが並んでいます。こればかりは、どうしようもありません。

あと1時間もしますと、終戦記念日。69年も前のことですが、私の人生を巻き返しながら、「今までの人生の中から、10枚のスライドを」と言われたら、私は間違いなく終戦の日の1枚を入れるでしょう。その中でもやはり強烈なもので、ショックは大きなものでした。何とも言えない感慨が、心中を渦巻いております。

その時、私は女学校3年生。8月15日と言いますと、当然夏休みでしたが、そんな悠長なものは返上して、松根堀りや、芋畑と化した運動場で、唐鍬をふるう毎日だったように思います。

確かその日は、「重大放送があるので、家に帰って聞くように」と、早々と帰されました。

家に帰りつくと、緊張した耳に、普段よりも大きなガーガーというラジオの雑音が入ってきました。古ぼけたラジオは、それに似合った整理箪笥の上に乗っていて、その前には家族以外にも、3人ほどがいたように記憶していますが確かではありません。

雑音で良く聞き取れぬ内容でしたが、「戦争が終わった」ということだけは、分かりました。しかし、だれひとりとして、嬉しいとか、よかったといったような素振りをした人間は居りませんでした。かなりの時間、大人たちは、すすり泣いていたように思います。私も泣いていました。今日までの兵隊さんの死は、犬死にじゃないか。我々は、鍋釜まで出して、頑張ったのに、それが負け戦だったのか」といったような悔しさが、皆の頭の中を渦巻いていたのでしょう。今でこそ、侵略戦争だのと言っていますが、当時は、桃太郎の鬼征伐のような、世界のために、悪者を征伐しているという思いでしたから、これからは、鬼畜生に国を取られ、奴隷のようになるという思いもありました。

しかし、心の中では、戦争が終わって死なずにすんだ」という、ほっとしたのはたしかです。でも、そんなことは、口にはだれも出さずに、ただただ、【悔しい・悔しくないか】と言い聞かせていたのかもしれません。

思えば15歳の子供が、死をも覚悟していた戦争でした。いえ、そんな覚悟は表向きで、本心は、出征する男性たちを見送りながら、【男でなくてよかった。女は戦争に行かなくていい】と秘かに思っていたのです。死ぬことが怖かった私は、この闘いは、必ず勝つ、今に、神風が吹いて、敵は全滅する、などと思うことで、恐怖から逃れていたのでしょう。こんな逃げの姿勢は、私の本性かもしれません。

自分たちにも、平和と自由が与えられたと、じんわりと感じ始めたのは、ひと月もたってからでしょうか。

戦後の暮らしは、しばらくは戦中よりひどいものでしたが、平和という安心のチケットを手にしているものですから、気持ちはカラッとしたものでした。

戦争が再び起こるかも……なんて考えただけで、身のちぢむような、うつ病になりそうな私は、【そんなばかなこと、日本人がするはずない】と、思っています。これも、逃げの姿勢でしょうかね。(><)

 

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