2014年9月23日火曜日

昨日のこと2題


昨日のことを、書いていきます。

☆平成7年9月22日、夫が急逝しました。心筋梗塞でした。思い出しても、当時は悪夢を見ているような感じで、ただただ茫然としていましたので、あまりはっきりとは記憶にないのですが、夫は何秒かの苦しみはあったでしょうが、まるで暖簾でもくぐり抜けるようにあの世に逝ったのは、今となれば、私もあやかりたいような気持です。
当時も、64歳という年齢は、若すぎたので、まだまだ生きていて、したいことがいっぱいあった人なので、ただに可哀想でしかたがありませんでした。

今はあちらで、すきなことが出来ているだろうと、思うしかありません。合掌

☆昨日、久しぶりに仙谷由人氏のお話を聞く機会がありました。今も、世界をまたに、(特にミャンマーなど)活躍なさっています。以前国家戦略大臣のときに、やりかけた仕事を、自由になられてからも、引き続いてなさっています。一言で申しますと、日本にとっても、ミャンマーにとっても、成長していくための必要な領域です。
その一つは、今の日本は、いくらお金を用意しても、どこにプロジェクトをこなす労働力があるのか、ということが深刻な問題になっていることを心配されて対策に力をいれられています。分野は、農業にしろ、建築にしろ、介護、福祉、その他10万単位で人手不足しているらしく、自動車整備士にしても、長距離トラック運転手にしても、いよいよ心細くなってきているのです。
これは、少子化問題、高齢化問題などがからんでいるのは当然ですが、こうした現実は、毎年深刻度は高まっていくわけですから、5年、10年先を見通しての対策をしなければ、この国は、どうなるのか、素人の私たちでも、心配です。

そのための対策の一例として、ミャンマーの、即ち外国人による労働力と、外国の技術向上のための、ま、どちらの国にとっても有利になるような計画をたてられています。今の政治では、手をつけられていないことでしょうが、さすがに先をみた政治家的な働きは、ミャンマーにとってもとてもありがたいことのようです。

やはり、日本にとっては、ぜひ、政界に戻って頑張って貰わねばならない方だと、つくづく思いました。

2 件のコメント:

  1. 季節になると思い出しますね。うちの旦那は10月13日、58歳でした。年金ももらわず、あっさりさよならしたんですよ、。

    人手不足らししですね。他の分野は全然知りませんが、農業と介護は身に沁みます。でもねえ。両方とも外国人には馴染みにくい分野、私の通っているディケアにも外国から来た介護福祉士さんが時々来られます。とても一生懸命で、笑顔を切らしたことはありません。ただ。介護は技術だけでは困る部分もあってちょっと身をよけたくなるような、時があります。言葉の壁。習慣の壁はいかんともし難いですね。これは、あちらだけじゃなくて、こちらにも責任はあるのでしょうが・・・ロボットがまだしも、と思う事がありますよ。介護界は人手不足じゃなくて人材不足だと思いますね。未経験の方には分からないところがあります。

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    1. 58歳は現職中だったのですね。 さぞ悔しい思いで逝かれたことでしょう。

      mimiさんのおっしゃるように、人材不足ということですね。仙谷さんは、まず人材を育てることに力をいれておられます。養成する学校をつくったり、日本の学校に留学させたりしながら、人材の育成する、ということなんでしょうね。
      しかし、ますます人手も不足していくわけですから、これからは、大変な時代になりますよ。ロボットもたくさんつくっていただかねばならなくなるでしょうね。
      ロボットと会話も出来るようになるでしょうね。

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