2014年9月5日金曜日

詩心


地方の小さな文芸誌であっても、事務局をしていますと、いろいろと雑用はあります。今日は9月4日、書いている間に日付けが変わりそうですが、昨日は、何人かの役員で、印刷所から頂いてきた第1校の校正をしました。
今日は、それを持って、印刷所へ行って、直しの部分の説明をしてきました。土曜日の午後、それを頂きに行き、月曜日は、第2校正をします。校正は、作品ばかりではありません。名簿、目次、扉、空いているところのカットや埋め草、広告などなどで、3回、4回の校正が必要となります。ちょっとした雑誌も、なかなか手間ひまのかかるものです。

こうしたことを一人でなさっていて、グループの冊子を作られている方もおられます。短歌、俳句、詩等の冊子作りです。好きでなければ゜出来ないことですが、頭が下がります。

そうした冊子が、私たちの事務局にも贈られてきます。冊子その他個人的に出版された本など、いただきますと、出来る限り目を通して御礼状を差し上げています。そして、年4回発行している文芸便りに紹介して、みなさんにいつでも貸出しするような仕組みになっています。

そのおかげで、詩、短歌、俳句などの冊子を読ませていただく機会があるので、自分では作れない短詩型文学にも、興味はあります。俳句はいっときあるグループに入れていただいて学びました。しかし、「難しくて奥が深い」ことが良く解り、主催の方が止められたのを機会に、離れてしまいました。短歌は、自己流に作ることはありましたが、何でも勉強しないとモノにはなりませんので、【作れる】なんて言えません。本気で作りたいのなら、周りに先生はおりますのに。(笑)

詩はとても難しくて書けないもの、と、初めから決めてかかっています。理由は、自分でもよく分かっています。詩には難しく解りにくいものが多いので、自分には、こうしたセンスがない、と。

詩は、心中に隠された思いや、感覚、感情などの、微妙なゆれや、美的感動などを、表現する省略の文芸です。その省略されているものが、何であるか、読み取れなければ、分かりません。ただただ、難解なものとなります。

しかし、考えてみますと、俳句にしても、短歌にしても詩になるか、単なる日常雑事の断片的記録になるかは、やはり作り手のセンスというか、詩心というか、その違いでしょうから、私にはムリとあきらめています。

むろん省略の文芸といっても、実用文や、散文エッセイを省略していっても、けっして詩にはなりません。たんに、文章をあいまいにさせるだけです。

ただ、このセンスというもの、ある程度磨くことはできても、持ってうまれたものが多分にあるように思うのですが、どうでしょうか……。
ま、何であれ、努力せずに、センスが無いから、何て、言っていたのでは、なーんも、ものになりそうにありませんが……。(^^;;

 

2 件のコメント:

  1. がまめさん、校正ご苦労様です。私もショートステイに歌集の校正ゲラを持って行って、頑張ったのですが、なかなか仕上がらなくて、今日やっと第2校を送れるまでに漕ぎつけました。何時出来上がるやら・・・・

    俳句も短歌も文学の端くれの筈、と教えられましたが、始めるのは簡単でも、何時まで経っても文学ですと言える所へは辿り着きません。そのうちに命の方が消えるでしょう。

    唯、短いので欲を言わなければ誰でも簡単に始められて、案外楽しめる物ですね。老後の楽しみにはいいかも・・・仲間も出来ますし・・

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    1. mimiさん。お帰りなさい。楽しい?1週間でしたか? またね追々にお話聞かせてください。

      私は、この12日までは、毎晩11時くらいまで、劇塾のほうで、劇の練習のお手伝いです。もう、日が変わりましたが、お風呂のあと、こうして、書いていますが、ブログは書けません。もう寝ます。。
      明日は午前中、役員会で、2校の校正です。早く起きて、準備しなくてはなりません。
      今が一番あれこれがかさなつていて、大変ですが、ま、なんとか切り抜けます。

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