2015年3月11日水曜日

№898   3.11


東日本大震災から4年。あの日から毎日、何らかの形で、大災害に遭われた方たちの悲しみ、復興への努力や、頑張っておられる様子、そして震災の恐ろしさ、復興の難しさを目にしてきたし、いつ、またどこで大災害が起こってもおかしくないと言う日本列島住民の心がまえ、訓練などなどを、教えられてきた。

しかし、正直言って、私の心のうちは、切羽つまった感覚はなく、「もう、このトシになれば、どうなっても仕方がない。若い者こそ、命を大切にしてほしい」という気持ちが先立っていて、いざというときには、どうするか、などと具体的に考えたことはない。

ただただ、あれ以来、涙もろくなってしまって、気の毒な方たちがテレビに映ると、目が洪水になってしまい、何もできない自分が悔しいのと同時に、健気にも頑張る方たちや、若い方たちの優しい心や奉仕精神に、感動の涙を流すだけである。

それにしても、福島の原発事故の恐ろしさは、始めの想像をはるかに大きく、しかも、何も解決できていないというのに、『安全』ということが決まれば?稼動するというのは、どう考えても怖いことのように思えてならない。電気代が上がってもしかたがない、いや、少々不便な生活になっても、我慢してでも、原発は動かさないのがいいのでは、と思うのだが、こうした考えでは、国は動かなくなるのだろうか? 我慢出来なくなるほど、国の情勢が悪くなるのだろうか? それとも、大企業や、裕福層が困るのだろうか? 我々のような者は、どちらの意見も、もっともだと思うので、分からなくなってしまう。

ただ、言えることは、【想定外】ということは、どんなときであっても、起こり得ることを忘れてはならないと思うのだ。

 

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