2012年8月17日金曜日

食べながらは泣けない


なるほどとうなずきがら読んだ話だ。

人生相談に長けた老女の言を要約すると、失恋とか受験の失敗とか、若い人が泣いて相談に来たら、まずご馳走して食べさせるそうだ。食べながら泣くっていうのは、難しい。

箸で突きながら泣いていても、そのうち泣きやんで、考えが変わることが多々ある。
「このお魚美味しいわね」くらいの台詞が出れば、もうしめたもの。


問題解決には、垂直思考というか、とことんこだわって、根本的解決をもとめるのは言うまでもないが、それでもどうにもならないときは、水平思考への転換が一助となる。

その一つがユーモア感覚である。生きて行く上での日常の知恵としても、有効だ。ユーモアは、頬笑みを誘い、軽い逃避となることもあるけれど、脳味噌をしなやかにして別な発想を生むことにも通じている。

・・・といったようなことである。

失恋をして、相手を恨み、自己嫌悪に陥り、失った過去を惜しんでみてもしかたがない。「死にたい」と思う人たちも、ちょっと視点を変えたなら、「なーんだ、あんな男の一人や二人、箒で掃いて捨てるほどいるじゃん」ということにも。
「あの大学に入って、びリを這うより、ランクは下でも、いいところを走る方が結果は上だ」などなど。
負け惜しみでも何でもいい。方向転換できたなら、どんな素敵な人生が開けるやら、分かったものじゃないのだから……。


4 件のコメント:

  1. 私の経験では、食べながら涙を流すことはあります。電車に乗ってもひとりでに涙が流れました。ただ他人の前では泣けませんでしたね。娘の前では嗚咽しました。いずれも姑の介護をしていた時の事です。

    そんなときはどうしようもないもので、誰に泣きついても解決にはなりませんでした。泣きながら毎日を過ごすより仕方がなかったと思います。

    でも、この世の事はこの世で何とかなる、言葉通り母の介護は終わり、夫の身内はこの世を去り、今はもう忘れかけています。苦しみは永遠に続くものではないと思います。

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    1. mimiさんも随分つらいことをくぐり抜けていらっしゃったのですね。
      それだけに、おっしゃることに重みがあります。

      その点、私は、親や子の前で、嗚咽するほどの苦しみはありませんでした。
      ありがたいとおもっています。

      でも、そんな苦労は、mimiさんという人間を一まわりもふたまわりも大きくしたことと思いますよ。

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  2. 私は、小学校3年のときに父が亡くなり思いきり泣きました。若い時は、素直な気持ちで泣けましたが、生活環境のせいか泣くことを我慢して来た様に思います。成人して自分で決めたことが失敗いしたからと言っては泣けず、辛抱強く生きてきたためか少々のことでは涙は出なくなりました。大声を出して泣きたいときもありましたが、涙を流すのはぐっと抑えてきました。何もかも自分で解決してきました。可愛げのない人間で~す。可愛い女性になりたいのですが・・・
    涙が必要な時に出ないというのも辛いことですね・・・

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    1. kyamiさん、涙を流さないからって、可愛げがないとは言えませんでしょう。ま、どんなときにも泣いて甘えたりする女の人いますけど。(笑)
      涙にもいろいろありますが、歳をとりますと、涙もろくなるときと、その反対のときがありますね。

      知人が亡くなっても、自分も近いうちにお迎えがくると思うと、「あちらでまたお会いしましょう」・・・なんて。(笑)

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