2012年8月8日水曜日

文章について


昨日は立秋でしたので、もう暑中ではなく、残暑ということになりますが、まだまだ真夏日が続きそうです。部屋の温度計も30度を指しています。さっきまで、窓を網戸にして、扇風機で我慢をしていたのですが、日が暮れました今、エアコンに切り替えたところです。

これだけ暑い日が続くと、仕事がはかどりません。私だけではないらしく、町文芸誌の事務局をしている私のもとに、原稿締め切りの七月末が過ぎても「まだ書けていない」とか、「あと何日待ってほしい」とか、原稿の集まりが遅れています。
こうしたこともあるので締め切りは余裕を見越しているのですが、中には、「もう今年の作品は見送る」とか、もう書く気力がないので脱会します」とか、おっしゃる方も出てくる始末。
100人ほどの会員ですが、特にこうした文芸に関する集団は、高齢化という問題もあって、なかなか大変です。



中でも文章を書いてみたいと思っている方たちのほとんどは、自分の文章に自信がなかったり、不安だったりするもので、それは当たり前のことと思います。

単に心の沈殿物を吐き出して、すっきりしたいということであれば別ですが、読み物として、あるいは文芸という囲いの中にもぐり込むことを夢見ているのであれば、やはりそれなりの努力は必要でしょう。ただ、気楽なブログや掲示板でのおしゃべりは、それなりの意義もあって、それはそれで硬苦しいことは抜きで、書き込みすることは、大いに結構なこと。私も、そうさせていただいています。

そういうことで、これも気軽に書くのですが、私が思っている「文章上達法」は、

1.自分の好みの作家の作品を読み込むこと。

2.書き続けること。

3.自分の文章を何度も読んで添削すること、

だと思いこんでいます。

ちょっと説明させていただくと、1.は、好みのリズムを自分流に身につけることと、そして「この表現はいい」と思う表現を盗むこと。盗むといっても、その手法を盗むということで、文章を盗むわけではありません。たとえば、「胸に、生暖かいアイロンをあてたような・・・」という表現が気にいったとしたら、そんな気分的な表現につかう。たとえば、アイロンが焼き芋になってもいいし、更に、「生乾きのシャツを着たような気持ちの悪さ・・・」といったように、形が変わっても使えます。

2.は、単に日記を書くように続けておればいいというものではなくて、「磨く」ことをアタマから放棄しないことが大切です。いくら書いても「磨こう」という意識がなければ、上達はなかなかと思います。何でもそうでしょうが、腕が上達していくのは、とてものろのろですが、落ちていくのは、早いものです。山道と同じです。トシをとるとなおさらです。書くことを怠れば、もう書く気も失せてきます。

3.の場合は、声に出して読んでみることをお薦めします。何度も読んでみる、そうすると、リズムの悪さや文章の捩じれが分かるし、落ち着きの不安定さ、説明不足や、反対に不要なところが発見されてきます。

ま、こうした努力が必要かと思っています。何しろ、文芸と名がつくと、中身が正直であっても、ご馳走がならべられていても、他人に読ませるだけのものがなくてはなりません。筆力とでもいうのでしょうか。そうした実力をこれからの方たちにはつけていってほしいと思っています。

・・・と、偉そうなことを書きましたが、かくいう私自身の筆力が上達どころか下降しておりますから、年寄りの冷や水と思って、この文章、真剣には読まないでくださいね。(笑)

2 件のコメント:

  1. 年取ると文章を書くこと自体が億劫になります。書かないのですから推敲の仕様もない訳でして・・・

    でも、ご教示はとても参考になりました。成程と思います。1)は好みの、という事でしたら私でも出来ていると思います。好きなのですから問題ないかと・・2)と3)はxです。

    結社に入っていた時は主宰からの命令で、見開き2ページぐらいの文章を1年に2,3回は書いていました。結社を止めたら、機会もないし、その気も無くなってしまいました。年なんでしょうねえ。文章と言えるものはもう書けません。

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    1. mimiさんは、まだまだ書けますよ。現にここにも書いてくださっていますもの。老人に必要なのは、『その気』になることでしょうね。
      ぜひ、その気になってください。けっこう面白いですよ。(^^)

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