2012年8月28日火曜日

不老長寿


このところしばらく歯医者さん以外のお医者さんと、ご縁が切れている。歯医者さんも、歯のお掃除に行くということなので、歯が悪いわけではない。

こういう状態は、「健康」というのだろうが、このトシになると、「健康です」と言いきれぬものがあって、複雑な思いである。

「お変わりありませんか?」

「ええ、まあ、何とか病院のお世話にならずに暮らしています」

「ああ、それはけっこうですこと」

……ということになる。本心を語るなら、更に、

「トシですからねえ。膝は痛くなるし、仕事したら、腰はすぐ痛くなるし、あちこちほころびていて、ちょっと仕事してもしんどくてねえ。毎朝、目がさめたら、ああ、今日も一日生きておれると、安堵しています」

……と、いうことなのだが、ま、こんなことは語らないことにしている。

 

いっとき、「アンチ・エイジング」ということばが流行ったことがあった。今もちらちらと目にするのだが、私は、こんなカタカナことばが苦手なので、日本語でいってもらいたいと、いつも拗ねるのだが、いうなれば、加齢に抵抗、というか、昔からの人間の当り前の願いである「不老長寿」ということのようである。

 
こうした長年の夢のようなことも、医学その他の進歩で、将来は実現しそうな気配があるから恐ろしい。人間の平均寿命が百歳以上になるとしたら、この日本の人口構成は、どうなるのだろうか。嬉しいというよりは恐いというのは、そういうことも含めてのことである。

 
ま、私たち現在すでに老人になっている者は、そんな時代まで生きてはいないだろうから、いらぬ心配はせず、少しでも健康寿命を延ばすべく、気をつけていくことが大切なことなのだろう。

 
とはいっても、ただ、「長寿だけが目的」ということで頑張るのは、自分も周りも「長生き出来てよかった」とは思えないし、思ってはもらえないような気がする。やはり「何かをやっていくために、長生きがしたい」ということになってこそ、長生きの価値が上がるというものではなかろうか。

 
その目的が、世のため人のためになることなら申し分ないだろう。ただ、そんなことが、いつまでも出来るはずがないので、自分だけの楽しみのため、やりたいことのため、ということでも御の字である。

いい音楽が聞きたい、綺麗な花の絵を描きたい、俳句を作りたい、本を読みたい、いろいろあっていいが、どれも楽しみながら出来るものがいい。

 
ただ、こうしたことは、やはり健康でなくては意欲が萎んでしまって続かないし、心が枯れては出来そうにない。『1に健康』ということである。心と身体に栄養を与えながら、目的に向かっていきたいものだ。

 
欲をいえば、若い人たちからも、「ああいう年寄りになれるのなら、長生きもいいものだ」と思われるような老人になれたら、こんな嬉しいことはないと思っている。

 

4 件のコメント:

  1. 朝起きるときに、苦痛で長生きするのも大変なことと思うときがあります。
    時間が経つうちに忘れて、友達から電話があると話ができるだけ健康で幸せよ、元気で楽しく過ごしましょう。と決まり言葉で終わります。
    歳をとると、先の事はわかりませ~ん。まず身の回りの整理からですかね・・・これも体力要りますね。こんなことを思いながら時間が過ぎてゆきま~す。

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    1. kyamさんのように、医療にかかわってきた方は、健康についても、色々と配慮しながらの生活をなさってきたと思います。
      それでも、トシを寄せて行くというのは、大仕事ですよね。

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  2. 不老長寿と言うのは昔から恵まれた人たちの1番の願望でした。但し、自分だけの不老長寿です。世の中のみんなが不老長寿になればいいと思っていたわけではありますまい。

    権力者がいつまでも死なない。庶民は搾取されっぱなしです。

    庶民にとって死ねないという事は恐怖でもありますね。世渡りの苦労が永遠に続く。

    いつまでも親が死なないと子供も困ります。新しい事は何1つでませんもの。親から子へ、子から孫へ・・こうして社会の常識も変わっていくのでしょうね。

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    1. ほんとにねえ。
      何はともあれ、親を看取らねば死ねない、と思いながら、病に倒れて、親より先に逝く……、これだけは、どちらの立場であっても困ります。医療の研究も、このあたりをよく考えていただいてやってもらいたいものです。

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