2012年8月27日月曜日

ご飯とパン


お米のご飯を主食としてきた日本人が、パンを食べだしたのは、戦後のことであります。

パンは、戦中戦後の食糧難時代には、代用食といって、お米がないから、しかたなく蒸しパンなどを作って食べていた程度でした。

 
むろん、戦前はお菓子屋さんには、菓子パンなど売っていたのですが、それはおやつであって、主食は何といってもご飯です。食パンも無かったわけではありませんが、都会のハイカラな家庭が、たまに食べていたくらいだと思います。

ちなみに私は、自由に何でも食べられた戦前、そして戦後も、家の食事でパン食など、口にしたことはありませんでした。

 
そうした日本に、食の革命のようなことが起こってきました。

戦後、アメリカの政策で、日本に、学校給食制度を導入しました。日本の子どもたちは、給食によってパンを食べることに慣れていったのです。

ご飯の好きな私は、給食のパンを、子どもたちといっしょに食べるのが、いつまでたっても苦手でした。

 

ちょっと話がそれますが、当時、アメリカの小麦市場拡大のためには、パンでなくてはならなかったのです。そして、小麦の味覚が浸透した後、さらに子どもたちが好む干しぶどうを小麦に加えたりしますと、子どもたちがレーズンパンを好きになれば、カリファルニアのレーズン輸出業者は、大きな市場を獲得することになります。
ですから、これは非常に良く練られた遠大な計画だったということです。

話をもどします。学校給食で大きくなった戦後の子どもたちが、大人になる頃には、朝はパン食、という家庭はめずらしくはなくなりました。

 
ただ、私のようなご飯党も、大勢おります。最近は、大衆ホテルの朝食は、バイキング形式が多くなりましたので、よくわかるのですが、主食にご飯をよそっている方も、けっこうおられます。

 
どこに行ってもご飯党の私ですが、最近、ちょっとした変化があらわれてきました。
パン屋さんが増えて、いたるところにたくさんの美味しそうなパンが並べられて、いい香りがしてくるものですから、つい覗いてしまいます。食パンを買うことはまずありませんが、おやつはあまり食べないものですから、朝食、昼食の主食となるような、クルミパンや、レーズンパンなどを選んでしまいます。
一人の食事なので、2合のお米を炊いて、残りを冷凍にしておくということをしているものですから、冷凍がなくなっていることもあり、慌てて炊くこともよくあるのです。そんなとき、「あ、お昼はパンでも……」と、手間を省いて買い物のついでにパン屋さんのお世話になることを憶えたのです。そんなわけで、私も、1週間に1度か2度は、パンを主食にしているのです。

 
やはりアメリカ占領軍の遠大な計画は、大成功のようでありました。
私ごとき者までが、クルミパンやレーズンパンを昼食に食べ始めたのですもの。()

4 件のコメント:

  1. 私の家は、みそ汁党で3食御飯です。私は時々昼食は調理パンなど買ってくるのですが、主人は和食ですから・・・パンはおやつ的な存在ですね。色々な種類がありますが、昔風のパン(アンパン、ジャムパン、レーズンパン)を買ってしまいます。何もなくて、急いでいるときは本当に便利な食べ物ですね。
    私も、小中学校と給食は粉ミルクとコッペパン、クリームシチュウ様のものでした。その時代は美味しかったように思いました。

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    1. kyamiさんは、私より大分お若いから、休職の経験がありなさるのですよね。
      私は、教職についてから、子どもたちと一緒に給食を食べたのが、はじまりです。(笑)アメリカからの脱脂粉乳を溶かしたものと、パンです。
      パンの粉はアメリカでも、焼くのは、その地方のパン屋が焼いていたので、学校によって、味が驚くほど違いました。

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  2. ゴマメさん
    去年にはパンは消費額で米を上回って、地位が逆転してしまっています。働く女性も増えて、調理に手間も時間もかかるご飯は敬遠され、太るというイメージも災いしています。
    この流れは止められないでしょう。
    食生活が多様化して豊かになったと喜ぶべきか、日本の
    食文化が壊れつつあると嘆くべきか。
    うーむ、今夜も寝苦しい

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    1. へえー。そうなんですか。アメリカ人よりもパン食が多いなんて、どういうことでしょうねえ。
      私なんか、どんなにパンが美味しくても、あの炊きだちのご飯のいい香りには、かなわないと思うのですが……。
      手間暇といったって、スイッチひとつで炊けるのに。(笑)
      戦後、文化も食も、崩れつつある、と、私は嘆きたーい。

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