2012年8月19日日曜日

風評被害


このブログ、一応エッセーのブログということになっていますが、時々、手抜きをさせていただいています。それは、聞いたこと、読んだこと等をここに紹介するという、手抜きです。私が考えたことよりも、はるかにいいことが書いてあったり、面白かったりするので、読む方にとっては、「しっかりと、手抜きして」とおっしゃるかもしれません。この話しも、手抜きの話からはじまります。


東大大学院の教授・佐倉統氏が、新聞にこんなことを書いていました。


放射能汚染への風評が止まらないが、実際の危険性がほとんどなくても、心理的不安がおさまらない。

これは、放射能だけでなく、病気、職業、人種など、昔から広く見られるもので、人間の心理傾向の一つとしてみられるものだ。


最近の研究から、人の心には、病原体への感染を避けようとする「行動免疫システム」というものが備わっていることが分かっていて、石器時代は、病気にかかる可能性が今より格段に高く、罹った時のダメージも非常に大きかったので、人間の心は、過敏に病原体を避けようとするように進化してきた。


「風評被害」は、これが誤作動したもの、と氏は言う。危険がないのにシステムが誤作動してしまうのは、生き物としての人間の進化より、環境が急激に変化してきたことが原因と説く。


このシステム事態は、この過酷な環境の中で生き延びるためには必要なものだが、これが発動すべきでないときに発動すると、さまざまな弊害が現れる。アレルギー疾患もその一つ。

風評被害というのも、「心のアレルギー反応」である。


アレルギー反応の根本的な治療は、難しく、長い時間をかけて抗原を除去するか、体質改善するしかないのだが、心のアレルギーは、日々の教育や啓発が、それに当たるのだが、これは急ぐことには間に合わない。


対症療法では、一部のアレルギー反応は、抗ヒスタミン剤などで抑制しているが、風評被害の場合は、【風評情報を相手にするな】と言う事になる。特に、自治体や、組織の中枢にいる人達が、過敏な反応をせずに、一方で、教育や啓発を続けることが必要・・・と氏はおっしゃっています。


考えてみますと、放射能汚染地区の方たちの受けている被害は、本当にお気の毒なことであり、その上に、風評被害が重なってくるのですから、その悲劇は言いようがありません。

放射能汚染の心配ない瓦礫でも、受け入れない地方の自治体、人体に影響がないと折り紙つきでも、生産地のラベルを見ただけで買わない人達。

もし、自分がそんな土地に立っていたなら、どんなにか悔しい思いをすることでしょう。

相手の気持ちになって物事を考えたり判断していく、ということも、対症療法の一つと思うものであります。

2 件のコメント:

  1. 風評被害って厄介ですね。何しろ実態がない。捉えどころがない。
    感情に由来しているらしいので、その不安感はかなり強いし、理屈では説得できない。風評被害にあっておられる方は、お気の毒と言うより他ありません。

    消費者は理性的に、という事ですが、それがなかなか難しいのです。人間は理屈より感情に傾く、という事でしょうか。

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    1. そういうことですね。
      私のように年寄りは、少々の被害をこうむっても、恐ろしくはありませんが、幼い子どもを抱えていらっしゃるかたたちにとっては、大きな不安となるのも分かります。
      といって、どうにもならないことには、神経質になり過ぎては、心まで病んでしまいます。難しいですね。

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