2014年4月20日日曜日

かつ丼と親子丼


先日、友人何人かで、食事処で昼食を注文したとき、Aさんが、こんなことを言った。「私はどこに行っても、自由に注文するときは、かつ丼ばっかりよ。ほかの物を注文しようかと思っていても、やっぱりかつ丼になってしまう」と、笑いながらかつ丼を注文した。私はその時、「私はいつもというわけではないけど、親子丼が多いわ」と言いながら、親子丼を注文した。

Aさんは、かつ丼が大好きという理由があるらしいが、私にはちょっとした思い出があってのことである。

小学校3年生の時、妹とふたりが、母に連れられて旭川まで行った。父が戦地から帰ってきているという旭川の連隊に面会にいったのだ。

駅前の食堂に入って、お昼の腹ごしらえをすることになって、私は生まれて初めてお食事処というところに入った。ちょっとした食堂だ。壁には、木の札に、メニューが書かれていた。母が、「何でも好きな物食べていいよ」と言ってくれたのだが、何がどんな味がするものやら、よくは分からない。素麺、うどん、カレー、散らし寿司程度は家で食べていたのだが、その他のものは、食べた記憶がないのだ。母は素麺にするという。素麺なんてイヤだというと、じゃあ親子丼でも食べたらいいとアドバイスをしてくれた。母の推薦によって、私と妹は生まれてはじめて親子丼なるものを口にいれたのだ。

それが何と美味しかったことか。アツアツの丼に顔を埋めるようにして、こんな美味しい物を、母は食べたことがあるらしいことが不思議だった。

その年の夏休みに、私は父とふたり、父の生まれた徳島へ旅をするのだが、途中、青森の宿でも、東京でハトばすに乗せてくれ、昼食の注文を聞かれた時も、大阪で叔父に会い、レストランに連れていってもらったりしたのだが、どこへ行っても、親子丼ばかりを注文するものだから、父は閉口したと、母に告げていた。

そんな思い出があるものだから、食事処に入ると、今でも、すぐに親子丼のメニューが目に入り、何となく口元がほころぶ。別に親子ばかりを注文するわけではないのだが、かつ丼の注文は、1度もしたことがない。かつ丼を注文するくらいなら、親子なのだ。(笑)

そういえば、ある作家が、(多分、五木寛之さんだったと思うのだが)学生時代どこかのお家でよばれた出前のかつ丼に、世の中には、こんな旨い物があったのかと驚き、出世して、朝昼晩、かつ丼を食べる身分になろうと思った、と書いてあったのを思い出す。

今ならお笑い草だが、当時は庶民というのはそうしたものだったのだ。今はもう、美味しいものばかり、毎日食べている人たちばかり。それも沢山の残飯がでている始末。ちょっと考えをあらためなくてはいけない時がきているように思うのだが……。

2 件のコメント:

  1. 親子どんぶりが食べられたという事はまだ食べる物があった時ですね。それから間もなく親子どころか、ご飯そのものが無くなったんですから・・・お米もお麦も、しまいにはお芋もなく、栄養失調で亡くなる人が続々、今こんなことを言っても、経験していない人には信用されないかもね。

    夫の33回忌法要が昨日終わりました。今日は疲れてダウンしていました。一緒にいた期間30年、死別後33年、夫の知らない娘婿、2人、孫4人、曾孫4人、孫婿3人、月日が経つと人も変わります。

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    1. 父はシナ事変で戦地にいっていたので、帰還後しばせくは、たべものは普通にありましたね。ただ、贅沢なものは食べていませんでしたが。

      早くにご主人がなくなられたのですねえ。ご苦労もあったことでしょう。
      でも人間の幸せは、終わりよければ、ということもあって採算がとれるのでしょうか。

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