2014年4月21日月曜日

連想


昨日のブログに、食堂などで親子丼という張り紙などをみると、昔を思い出すと書いたが、こうした【連想】は、よくあることだ。

【海】を見ているとき、ふっと口ずさむ歌がある。それは、戦時中、女学校の朝礼で、毎日歌った【海ゆかば】である。万葉集の中の大伴家持の長歌の一節をうたった名曲である。

  海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
山(やま)行かば 草生(くさむ)す屍
大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死(し)なめ
かへりみはせじ

今の世には、まったくそぐわない歌詞であるが、当時は、当たり前の歌詞であった。大君即ち天皇ではあるが、それは国のため、妻子のために、という思いで戦いに出て行ったと考えるのがよいと思う。

この歌を口ずさむと、私はいつも涙ぐんでしまう。若くして特攻隊で亡くなった方をはじめ、一枚の赤紙で、後ろ髪を引かれつつ、死を覚悟して行かねばならなかった兵士。残されたものの悲しみが、手にとるように胸に蘇ってくるからだ。

私の父は支那事変に駆り出され、幸い無事帰還したのだが、出征する父の勇姿と、家に帰り着くなり泣き崩れた母の姿、神棚と仏壇に燈明をあげて、無事を祈りだした祖母。家で働いてくれていた工員さん4人も加わり、祖母に続いて手を合わせ、皆で無事を祈ったことが、霞んだ涙目に浮かんでくる。

こうした悲しい体験をされた方たちを大勢目にしてきた私たちの世代は、平和憲法はどんなことがあっても守らねばならないという思いは、骨身に沁みついている。近いうちに、戦争を知らない人たちばかりになるこの国だが、どんなことがあっても、平和憲法だけは、守り抜いてほしいと思う昨今である。

 

2 件のコメント:

  1. 連想って限りなく広がるもんですね。親子どんぶりから「海行かば」に、そして平和憲法に・・・昔、NHKで連想ゲームと言うのをしていたように思います。懐かしい。

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  2. むかしから、色々と連想したり、空想するのが好きでした。才能がないので詩人にはなれませんでした。(笑)

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