2014年6月7日土曜日

つれづれに……


老人新聞に載せる文章を時々頼まれて書いて来ました。先日も頼まれましたので、先ほど仕上げたところです。内容は、老人の生き方についてのことが主な内容になってしまうのは、致し方ありませんが、読まれた方が、「そうだよね」とか、「ああ、気をつけなくっちゃ」とか、「年とるのも悪くないなあ」なんて思っていただけたら、と、いつも思うのですが、なかなか思うようには書けません。

話は変わりますが、先ほど、ちょっと前まではお元気にしていた友人が、入院したことを知りました。今年になって、知人や、知人の連れ合いさんが病気になられたとか、亡くなられたという話が数回聞こえてきました。自分も周りも、そういう年になっているのだと、あらためて思った次第です。

せめて平均寿命くらいまでは、老をはね除けて、楽しく心豊かに元気に過ごしたいのは、誰しも願うことですが、このように上手く年をとっていくことの難しさは、年とともに実感できます。体の健康面だけではありません。心身ともに、うまく老いていかなければならないので、簡単ではありません。

年を寄せることは、本当は、マイナスがほとんどの世界で、いいことはあまりないと思われがちですが、そうかといって、不満をいつも抱えて生きていては、どうしようもないということも、ようく解っているのです。それでも不満という薬にもならないものを抱え込んでいる老人は、けっこういらっしゃいます。

周りを見わたしてみるとよく分かるのですが、自分の視野を三百六十度のどこまで開いていくか、視線をどこに向けていくか、そのバランスの取り方が、人それぞれ違っていて、 視界が広い方、狭い方、要の金具が錆ついたのか、まったく視野狭窄のような、頑固だけが取り柄になった方、他人のことは何も見えなくなって、わが道をまっしぐらに進む人、と色々分かれ道を歩むことになるのでしょう。そうかと思うと、世の中には、視野は世界の果てまでも拡げて、ボランティア活動に汗を流すような立派な老人もいらっしゃるのです。そこまでは無理としても、何か人さまのためになることが少しでも出来ればオンの字ではないでしょうか。

他人ごとではありません。これからの残り人生を、いかに、充実した、自己満足できるものにしていけるか、これからの私の課題でもあると思っています。

 

 

2 件のコメント:

  1. 人様の為になることが出来るってほんとに幸せですよね。年取ると体力、精神力共に落ちて来て人様のお世話になるばかり、その上に私は関節の痛みを抱えているので尚更です。

    でもせめて笑顔だけでも忘れないようにしようと思っています。私に出来るのはそれ位しかありませんから・・・・・

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    1. mimiさんのように、「せめて笑顔だけでも……」というのは、立派な生き方で、なかなか出来るものではありませんよね。
      だれもがだんだんと人様どころか、自分のこともできなくなるのは、人の道です。出来るときにしておくことで、十分なんです。
      しかし、誰もが迎える自立が難しくなったとき、笑顔は特に大切なことだとおもっています。介護をしてもらうようになったときは、その笑顔が、家族や介護師さんの生き甲斐となりますもの。
      ボケてもにこにこしていたいわ。急には出来ないから、普段のこころがけも、にこにこと。(笑)

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