2014年6月25日水曜日

年金その月暮らし


年金生活になって久しい。2か月に一度の年金だから、頂いた年金を2で割ったものが1か月の生活費ということになる。

夫は、お金を貯める、といつたことは、恥とでも思っていたのか、まつたく関心がなかった人なので、後先の考えもなく使うものだから、私としては、やりくりに苦労をしたものだ。そういうこともあって、どんなに年金が減らされても、あまり心配はしていない。手元のお金で1か月暮らせと言われたら、それだけの生活をしたらいいだけだ。豆腐が買えなければ、おからを食べて辛抱できる人種なのだ。食べ物にお金をかける趣味もないし、贅沢をしたいとも思わない。むしろ、贅沢は敵だ、という戦時中に叩きこまれた精神が、まだ生きている。

ただ、今のところ、我が国は有難いことに、長生きしても、年金は○歳まで、というような話はないので、一応死ぬまで頂けると思っているので、葬式代くらいは残しても、老後のために、などと、今更貯金するつもりはないし、万一病気になっても、年金で賄える手当をしていただくだけで十分と心得ている。

ただ、『貧すれば鈍する』になっては困る。ボロは着てても心は錦……とも思ってはいないが、ケチに暮らしているわけではない。高くても、今は地元のお米より被災地のお米を買う。必要とあれば、寄付もする。身の丈に合ったことしか出来ないが、足元の小さなことでも、お役に立てることはしたいと思っている。小さなことであっても、だれかのお役に立てると言うことは、幸せなことなのだ。

徳島県出身の松下照美さんは、ケニアで恵まれない子供たちのために、中心になって身を粉にして不便な生活をしながら頑張っている。私にはとても出来なすいことで、ただただ感心するばかり。わずかでも、応援したいと思って、「モヨ・チルドレン・センターを支える会」の賛助会員として、毎年年間3.000円の会費を送らせてもらっている。(正会員 1万円)こうした小さなことも、自分のためにしているようなもので、当然受け取る年金であっても、働かずして年金を頂くことへの感謝の気持ちもあってのことだ。

考えてみると、「若い時の苦労は買ってでもせよ』というのは、ある意味では、間違ってはいない。インフレ時代に職に着いたものだから、1か月の給料で、革靴1足が買えなかった。副業の収入のある方は、よかったが、給料だけの生活というのは、大変な時代がかなり続いたのだが、そうした苦しかったことも、決して無駄ではなかった。まあまあの生活で、十分幸せと思えるし、自分よりも、家族の幸せを願うことが、生き甲斐になるということも身についた。時代は違っても、若い方たちが、生活に苦労していることも、昔の自分と重ね合わせる優しさも育てられた。有難いことである。

*「モヨ・チルドレン・センターを支える会」只今会員募集中

会費/寄付受付先(日本の振り込み先)口座名 モヨ・チルドレン・センターを支える会 代表者 富塚政生 口座番号 01660-1-73996 

 

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