2014年6月17日火曜日

掃除機 その2


掃除機といえば、我が家が初めて掃除機を買ったのは、いつ頃だったろうか……。はっきりとは思い出せないのだが、同僚の先生が、いち早く洗濯機を購入して、しきりに便利さを言ってくれたので、それからしばらくして月賦で買ったのは憶えている。掃除機は、それよりも、かなり後だったように思う。というのも、畳と板間の日本家屋は、ハタキや箒でサッサとゴミを家の外に掃き出す方が簡単で早かったためか、そんなに必要性を感じなかったからである。

しかし、掃除機を買おうと思ったのは、意外なことからだった。ある方が、「掃除機で畳を掃除していたら、もう、畳を外に出して干さなくてもいいらしい」と教えてくれたのだ。これはとても魅力的だった。一年に一度は、毎年家中の畳を庭に出して、2枚ずつ山型に並べて干したものだった。これは、梅雨があけて、からりと晴れた夏の日の風物詩のような風景だった。どこの家でも、こうした畳干しと、畳の下の床板の大掃除をするのが、決まり事だった。

子どもの頃は、この日が何となく楽しみでもあった。畳の下をくぐり抜けて遊んだり、畳を挙げた痕を、目を皿のようにして、お金が転がっていないか捜したものだ。5円玉、10円玉などが、出てきたら、嬉しくて仕方がなかった。

大人になってからは、一年前に畳の下に敷き詰めてある新聞紙をみて、「ああ、こんな事件があったなあ……」なんて、一年前を思い出すのが常だった。

戦後、蚤や虱退治にアメリカさんにDDTという薬を使うことを教えられ、学校でも、DDTの粉末を子どもたちの頭にふりかけていた時代があり、畳の下にも、DDTをぱらぱらとまいていたものだ。今から思うと、身体にいいものではないのだが……。

時代は変わった。掃除機や、エアコン、乾燥機の普及によって、もう、畳を干したりしなくてもいい時代になったのだ。あの幾つもの山型にならんだ畳は、見たくても見られない。夕方近くなると、畳を家に運び込む前、タオルで鼻や口を覆ったオトコシが、ポーンポーンと、竹の棒で畳を叩いて埃を叩きだす。その音が、また懐かしい。

不思議なことに、こうした時代の映画をみても、あの畳干しの風景というのは、一度も見たことがない。映画を製作したり、脚本を書いたりしている方たちは、戦後生まれで、そんな景色は、見たこともないのだろうか。……なんて思ったりもしました。

2 件のコメント:

  1. 私はケアハウスに転居する時、掃除機は持ってきませんでした。狭いのでなるべく場所を節約するためです。箒と雑巾と小さいコロコロで何とか凌げました。

    畳干しは懐かしい風景ですね。もう見る事も無くなりました。あの重い掃除機はここ娘の家でもあまり使っていないようです。

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    1. 掃除機は、重たいととても疲れますから、掃除をしたくなくなります。(笑)
      娘さんも、買われたのですね。ふふふっ。

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