2014年7月11日金曜日

理想と現実


テレビをつけたとたん、集中豪雨の爪痕が映し出された。大自然の怖さを思い知らされると同時に、自然をあなどってきた人間の傲慢さが、こうした災害をもたらせていることにも、心が痛む。

こういうときには、たくさんの自衛隊の方々が、懸命に働いてくださっているのだろうなあと思う。このような場面をみていると、自衛隊の皆さんに、感謝の気持ちがわきあがってくるのだが、同時に「自衛隊は、近い将来は軍隊となって、戦争に出掛けていくようになるのかしら……」ということが頭の中をよぎって、複雑な気分になる。

『人間は、理想を持つことは大切なことです。しかし 理想をそのまま現実に持ち込むのは困ります。理想はともすれば幻想なのです。そして日本国憲法は理想です。先のアフリカ民族紛争でも、武器を持たなかった民族は皆殺しにあっているのです』

これは以前も書いたかもしれないが、小説家の曽野綾子さんが書かれたことばである。皆殺し云々は、曽野さんが、アフリカ・ルワンダの民族紛争を題材に毎日新聞に小説を連載していたので、このときの取材で訪れたアフリカを見て語ったと思われるので迫力があったが、クリスチャン作家である曽野さんの、意外とも思える発言を、私は今も忘れていない。

私は、戦争を体験している。戦争の悲惨さと馬鹿らしさが、骨身にしみ込んでいるので、どんなことがあっても人間同士は、武器を持って戦うべきではないと思っている。だから、世界の平和が、今や武器や核で保たれているという現実に、ひどく嫌悪感を抱いているのだが、そうかと言って、日本が他国を信頼して「丸腰宣言」をすることに、不安がないわけではない。日本の周りは、信頼出来る国ばかりではないからだ。いつ寝首を掻かれることもあとは言うものの、こうした理想を推し進めていく国があってもいいではないか、とも思う。こういう理想は、だれにも文句はつけられまいと思う。でも、もう無防備ということは、もはや通用しないじょうせいである。戦争は放棄しているが、自衛は、当然しなければならないという時代である。

無防備というのは、万一侵略されたら、言いなりになるということだろう。また、アメリカに助けてくださいということになれば、もう自立国家とは言えない。事実、助けてくれる保証もない。

この理想と現実という問題は、改憲、護憲という問題とも相まって、以前から折に触れて論じられてきたことだが、いくら論じても、堂々巡りから抜け出せていない。

私自身は、勉強不足で、しっかりした信念があるわけでもないので、現実に存在する不安材料から考えると、理想論ばかり言ってはおれないと思う気持ちもある。

『国があっての幸せ』ということは、世界の歴史をみてもよく分かることである。国家は私たちの住み家。私たちの命を守り、人権をまもり、幸せを約束してくれるはずの母体である。

でも今は、国家のことを論じたりする人は少ない。むしろ、疎んじられているのではなかろうか。政治に無関心の人達が、いつの選挙にもあらわれている。

これからは、若い方たちが、自分の国のことを真剣に考えてほしい。平和憲法のこと、どういう形で自衛していくのか、どこまで、憲法解釈を拡げるべきか、などなど、そして政治に携わることのただ一つの行為である『選挙』を、棄権することなく、自分の考えで投票する、という義務をはたしてほしいと思う。

 

2 件のコメント:

  1. 判断に苦しむ問題ですね。曽野綾子さんは私は好きではありませんが、理想が現実に成り得ないと言う言葉には納得できます。

    昨日の友は今日の敵、と言う国際社会の中で、私達はどうやって身を守ったらいいのでしょうね。いくら「戦争嫌ー」と叫んでも、「そう、じゃああんたの所は攻めないわ」と言ってくれる国はまあないでしょうし・・・・

    でも、憲法改正が必要なら、先ずそこから手を付けて欲しいとは思います。政治の事はよく分からないのですが、一つの政権が、憲法の言葉の解釈を変更すると言うのは何だか危ない感じがします。今それほど緊急事態なのでしょうか。そこがよく分かりません。

    返信削除
    返信
    1. そうですよね。憲法解釈を拡げるよりは、きちんと憲法を変えるという姿勢がいいと思います。じっくり考えてね。
      安倍さんは、いそがなあかん理由があるんでしょう。

      削除