2013年4月8日月曜日

Aちゃんの思い出


小学3年生の時、頭の中に焼きついたことが、今も鮮やかに思い出すことが出来るのは、余程のショックだったのだろう。

いつもいっしょに遊んでいた同級生のAちゃんは、小さな旅館の子だった。同じ町内に『レンバイ』と呼んでいた、細い道をはさんで両脇に店屋が並んでいる一角があった。ちょうど、上野のアメ横を小さくしたようなものである。屋根もあり、お客もかなり多かったように記憶している。玩具屋、本屋、魚屋、果物屋、瀬戸物屋、毛糸屋、衣料品と、なんでも売っていた。

ある時、Aちゃんが、「レンバイ」に行こうと言う。本の立ち読みなどしたりして、けっこう時間をかけて遊ぶことができる場所でもあった。Aちゃんの後にくっついて走った。

Aちゃんは、ぶらぶら歩いていたが、瀬戸物屋の前で、ぴたりと足をとめた。そして、私の目の前で、可愛い魚の形をしたものを3個くらい鷲掴みにして、ポケットにいれた。今思うと【箸置き】だが、当時、我が家には、箸置きなど使うような家ではなかったものだから、その魚の焼物が、玩具の魚という感覚だった。

はっとしたが、Aちゃんには、何も言えなかった。Aちゃんは、私にも1つ握らせようとしたが、私は怖くて「いらない」と言ったら、そのまま、自分のポケットにいれて走り出した。

子どもの時から、「人の物をだまって取ったら泥棒」ということくらいは知っていたし、そんなことをしたら、警察に連れて行かれると思っていたので、悪さをしていない私も、Aちゃんの後を追って走った。

この事件は、親にも言わず、友達にも言わず、私ひとりの胸の中にしまっていた。それからしばらくして、Aちゃんちの前の歩道で、4人ほどで縄跳びをしていた。(道幅が広いので、十分に遊べた)

「ちょっと待ってて」と言って家に駆け込んだAちゃんは、湯のみに、お酒を入れてきて、それを飲みながら、縄跳びの綱を回していた。驚いたが、そのときも、湯のみを友達に差し出して飲めと言うのだが、誰も飲まなかった。

そのことも、家に帰って誰にも言えなかった。言ったら、Aちゃんと遊んだらいけないと言われるのがイヤだったのかもしれない。

それから暫くして、Aちゃんは転校して行ったので、以後のことは、まったく知らない。

もの心がついてから、Aちゃんの家庭事情というようなものが、どんなものだったのかと思ったりしたのだが、知るよしもない。

ひょっと、「今頃、Aちゃんは、どんな暮らしぶりをしているのか」と思うことがある。幸せだといいのだが……。

4 件のコメント:

  1. へー。それはショックな事件でしたねえ。私ならどうしたろう、と考え込んでしまいました。やっぱり誰にも言わず心の奥にしまっていただろうと思います。

    Aちゃんどうしているでしょうね。

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    1. ショックだったんでしょうね。忘れられないもの。
      子どもが、お水を飲むように、お酒を飲むのも、子ども心に、悪いことだと思いました。アル中になってなければいいけど。(笑) 

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  2. 旅館というのは、いろんな大人が出入りして
    子どもが早熟しやすいかもしれませんね。
    うちの近くにもレンバイはあったような気がします。
    廉売市場のことですね。

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    1. やはり【廉売】 と書くのですね。辞書には、「安物売り場」のようなこととありましたので、?とおもったのですが。

      たしかに旅館は、色々な人が出入りしますし、お酒も、身近にありますものね。
      ホテルや、大きな旅館とは違って、子どもも、早熟になってしまう……のでしょうね。

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