2012年12月18日火曜日

記憶


人間の記憶力というのはおかしなものだ。かなり前のことでも、しっかり憶えているのに、さっきのことを思い出せない。

このブログでも、「あのことを書こうか」と、かなり昔の思い出を書き始めて、「あっ、この話は、たしか書いたなあ」と止めることがある。それも気付かず、同じようなことを書いてしまったこともあるやも知れないが、お許しいただきたい。

最近は、無論大切な約束などは、手帳に書き込んでいるので、集まりを忘れたりすることはないのだが、生活の中では手帳に書けないことの方が多い。そんなときに頼りになるのはタイマーだったり、手の指の輪ゴムだったりする。

風呂の湯を入れ過ぎて、また抜き過ぎて、また入れる、なんてことはしたくないし、焦げ付かせた煮豆と一緒に鍋まで捨てるようなこともしたくない。タイマーも、途中で電池が弱くなって、蚊の鳴くような音では困る。電池の取り換えも、怠らずにやっている。

タイマーも輪ゴムも役に立たないものもたくさんある。ちょっと置いた鍵が神隠しにあったのかと思うことなど、日常茶飯事である。一つ一つの行動に気が抜けない。ほかごとを考えたり、ぼんやりと鍵やメガネを置くと、後が大変だ。その都度、鉄道員のように指さしこそしないが、「ここに置く」ことを頭に認識させなくてはいけない。ま、こういうことは、決めたところに置くという習慣があればいいのだが、それがひょいと違ったことをしてしまうのが私め。
残り少ない人生の黄金の日々を、物探しに費やすほど勿体ないことはない、と、しかと心得ているのだが……。

「老いて自分の能力がだんだんと衰えてきたら、基本的に自分の生活を縮めることを考えなければいけない」とある方が言っていたが、なかなかそうしたことはできにくい。たかが年賀状の枚数を減らすこともなかなかできないのだから。生活を縮めて物探しの時間を増やすのでは、困るしなあ。(笑)

 

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