2012年12月13日木曜日

見る目


【自分】とは、どんな人間なのか?と問われたら、どう答えたらいいのだろうか。顔の説明一つにしても、巧くは表現できない。いつもいつも鏡を見ているわけではないが、何となく分かっていると思うのだが、説明せよと言われても、なかなか出来るものではない。「ああ、母親の顔に似てきたなあ」なんて思っても、具体的に表現するのは、かなり難しい。

自分の顔のことを書くとすると、読む人に、想像出来るように書くのだが、欠点は強調したり弱めたり、人並以上の部品だと、控えめに書くことになったり、膨らませて書くこともあるだろうから、実像とは、ちょっと違ってしまうことになるだろう。

以前、ある文章の中で、自分の顔のことを書いたことがある。友達が、ある方に私の文章を読ませたら、「この方の顔は不細工らしいけど、文章の感じでは、かわいらしい感じね」(笑)と、おっしゃったらしい。私は、決して美人ではないのだが、ま、親に言わせれば人並に産んである、と言う。(親の欲目かも)だから、書いたときも、そう思いつつ書いたのだが、読む方は、不細工な顔と言うのだから、控えめに書いたらしい。(^^;;

声だって、自分の声だけは、伝わる経路が違うらしいので、少し違って聞こえるという。匂いなんかも、自分の口臭はきづきにくいし、体臭など、分からない。

ましてや、その人間性だとか、知性だとか性格などは、自分の思いと他人さまが、自分をどう見ているか、などということになると、まつたく異なるかもしれない。どちらが本物の自分か、となると、あやしくなってくる。

ただ、人を見る目、というのは、かなり難しいものがある。顔や声や匂いとは違う。こうした【人を見る目】というのは、その人の知性や経験や人間性がかかわってくるので、まちまちになることもある。

独りの人物を、ああだこうだと言いあうのが選挙かもしれない。

そういう点では、【その国の政治は、選んだ人たちのレベルの政治】だ、というのは間違いないようだ。A級レベルの政治の国にしたいものだ。

 

2 件のコメント:

  1. 自分が、1番分からないのが自分でしょうね。分かっているようで分からない。他人が自分をどう見ているかも、気にはなっても、実は分っていないのじゃないでしょうか。

    国民が選ぶのは、国民のレベルの人。間違いないように思います。

    生徒の伸び幅は教師の幅だけ。会社の伸び幅は社長の幅だけでしょう。

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    1. >生徒の伸び幅は教師の幅だけ。
      まつたくそのとおりね。特に芸術。字や絵のヘタな私にに習った生徒は、不幸でした。(;;)

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