森の石松は次郎長さんに、金毘羅代参を言いつかったときに、「行って帰って400里、三月の間、酒というものは、笹の露ほども飲んでくれるな」と言われます。石松は「そんなことは出来ない」と答えますが、あとで大政に、「ウソも方便」ということを教わって出かけることになります。どれほどのお酒を飲みながらの旅だったかは知りませんが、こんなウソなら、だれしも経験のあることでしょう。
私もたくさんのウソをついてきました。治らぬ病に倒れた方に、「治る」とウソを言ったりするのは、当然のことのように、言いました。子どもたちの前では、いかにも知ったかぶりをしたり、知っていたことを知らなかった、なんて言ったりもしました。こうした「ウソも方便」ということで、何の罪の意識もなく、言うことが 出来ます。
ところが、ウソを言ったばっかりに、ひどく叱られたこともあります。
日曜日には、畑に出て、仕事をしていた頃だったと思います。まだ子どももいなかったので、夫が、「映画を観に行こう」と、いうので、二人は、それぞれに、「今日は、学校の用事がある」ということで、家を出ました。悪いことは出来ぬものです。舅が夫に帰りに何か、買ってきてほしかったのです。それで学校に電話をかけたのです。「来ていません」と、日直は言います。仕方なく私にも電話を。同じように「来ていません」(笑)
帰ってから、まあ怒られたこと。映画が見たいなら、なぜ正直に言わぬのかっ。と脂を搾られました。当時は、親の権威は、かなりのものでしたから、どちらにも言い分はありますが、ただただ、謝るしかありませんでした。
遠い昔の思い出です。
やはり、つかねばならないウソと、つかないのがいいウソがありますね。
それに、物忘れする年頃になったら、ウソはつかぬのがいいようです。ウソを言ったことを忘れてしまっている方がありますからね。
ウソがばれます。(笑)
嘘をつくというのも案外に難しいものなんですね。嘘は言葉だけでなく全身でつかなければばれるようです。。不治の病人に「治りますよ」と言ってみてもどことなくぎこちなくて、案外に相手にはばれているかも知れません。
返信削除知り合いに自分の出自を飾りたてる人がいました。みんな知らん顔して「凄いですね」と聞いています。内心では(嘘でしょう)と思いながら感心したふりをしているのです。どちらが嘘つきでしょう。
ふふふっ。うそとわかっていても、「うそでしょう」とは言えませんねえ。「そうですか」というのもウソかなあ。うそも方便ですね。
削除人間うそつきばかり。(笑)