2012年12月1日土曜日

被災地の市長さん


師走に入ったとたんに、冷たい風が吹きまくりました。そんな寒い一日でしたが、被災地福島県の相馬市市長・立谷秀清さんが、徳島にわざわざいらっしゃって、私たちに精一杯の復興の様子を語ってくださいました。勇敢にも、津波に立ち向かい、犠牲になった消防団第九分団長の稲山正弘さんの話は、涙と嗚咽を堪えることができませんでした。荼毘にふそうとするとき、母親がその棺にすがりつき「マサヒロ―、偉いどー。偉かったなー。偉いどー」と叫ぶ、その声を聞いた姉が、両手を天に突き上げて、絞り出すような声で「ばんざーい!」……と。

こんな母や妻子を残して逝った方たちの思いをしっかと受け止め、市長さんは出来うる限りのことをなさっておられます。

そして私たちに、まったく知らされていなかった衆議院候補者の仙谷由人さんの働きを知らされました。市長さんは、「日本のたくさんの政治家の中で、一番私等のために、真剣に取り組んでくれたのは、間違いなく仙谷さんだった。徳島の人は、多分知らんでしょう。仙谷さんがいなかったら、どうなっていただろう、東北の復興は、仙谷さんのリードで、次々と問題が解決されていったのです」とおっしゃってくださいました。
市長さんの相談に、真剣に考えてよい道をさぐってくださったのも仙谷さんだったそうです。政府も官僚も、今、すぐ必要なことが、すぐに出来ないという【法・条例】という壁があって、待たされるのだが、仙谷さんは、「こんな非常時に、そんなこと言っておれるか」と、またたく間に官僚や条例もねじふせてくださったし、実に罹災者の気持ちや心を大切にしてくださり、そういう事の出来る政治家で、人情のとても厚い方だと、おっしゃるのです。仙谷さんには、感謝してもしきれないと、ただごとでない褒めようでした。

私は、長年仙谷さんを支援してきましたが、こうしたご自分の働きをまったく語りませんから、復興のために、日本で一番頼りになったなどということばを聞きますと、「道理で徳島にはほとんどお帰りになれなかったのは当然」と思うのでした。

徳島駅前で、街宣車に乗っての演説も聞きました。「徳島で、仙谷さんが苦戦していると聞き、これはどんなことがあっても国会に帰ってきて貰わねばと思って飛んできたと、道行く人達に叫んでおられました。巷では、【虚像の仙谷】が、まことしやかにささやかれています。そんな虚像を打ち砕くため、「花の会」も頑張っていますが、仙谷さんの政治家としての資質を見抜いている市長さんに、「あなたも、まちがいなく、素晴らしい市長さんですね。復興、頑張ってください」の声援をおくりました。いい日でした。

 

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