2014年3月2日日曜日

不穏


ソチオリンピックの熱がまだ冷めやらぬというのに、ロシアのプーチン大統領は、政変で混乱が続くウクライナに軍事介入することを決めたとか何とか言っている。

こうした戦争をする、しないを決めるのは、国のお偉い人たちばかりである。市井の人達は、戦争なんて、望んではいないだろうのに。しかも、戦争で苦しめられるのは、何の罪も無い市民がほとんどなのだ。

戦争の馬鹿らしさ、悲しみ、怒りを嫌と言うほど味わったがゆえに、「どんなことがあっても、日本は、戦争をしない平和国家だ」と決めたのだ。だから軍隊もつくらなかったはずだ。こうしたことが崩れて行くようなことがあっては、再び不幸な戦争にまきこまれることがあるかもしれない。戦争を体験してきた私たちの年代の者は、どんなことがあっても平和を守り抜かねばならない、という思いは強い。

人類の歴史が始まって以来、この地球上で闘いのとぎれたことはほとんど無かった、ということは、人間が愚かな生き物であるということなのだろう。戦争をすることで金儲けをしているひとたちもいて、そういうひとたちに踊らされていることもあるだろう。

日本だけは、そんな戦争の片棒など担がされることのないように、憲法で守ってもらいたいものである。

1 件のコメント:

  1. 動物は戦わなければ、生き残れません。食料も伴侶も戦って獲得します。人間も動物ですからその本能が残っているんでしょうね。そこを知恵でセーブしているのが人間。

    知恵を放棄するとすぐ牙を剝くようになります。人間社会では戦って得をすることは無いのにね。戦争で儲けたって身に付きませんよ。それが分からないのは馬鹿。ロシア人馬鹿じゃないよね。物騒な人種なんて思わせないで欲しいです。

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