2014年3月21日金曜日

ごちそうさん


NHKの朝ドラを観ています。戦前戦後の不自由だった時代を思い出しながら、「この西岡家は、随分お金持ちなんだなあ」とか、「お金があっても、買えなかったなあ」なんて、回想したりして楽しんでいます。
ドラマを作っている方たちほとんどが、戦前戦後の本当のことをあまり知らない方たちが作っているのですから、事実は、もっと大変だったよ、なんて言っても仕方ありません。

特に、インフレや、通貨が新円に切り変わったりして、私たちの親たちは、何十年も働いてコツコツと髪振り乱して蓄えたお金が、殆ど紙屑のようになってしまったのですから、生きて行くのは大変でした。

親が嫁入り仕度のための保険をかけてくれていたのですが、当時20歳で満期になってみると、木綿のスカート地2メートルが買えなかったのです。今でも憶えているのは、水玉模様の布を買って、自分でギャザースカートを縫いました。その布代が三千円もしたのです。学生時代のことです。千円普請といって、千円で、立派な家が建つ時代に掛けてくれた保険は、たしか、千円だったと思います。満期になった千円が、スカートの布の前半分も買えなかったなんて、泣くにも泣けない時代でした。

それでも、農家で土地を持っている方たちは、食糧と、モノとを交換に来る街の人たちから、色々なものを手にしていましたから、けっこう贅沢ができたようです。沢山の嫁入り道具や着物を持って嫁入りしています。

私は、親からは、何も買っては貰いませんでした。私が長女であとにお金のかかる弟妹がおりましたので、私は教育だけでした。しかし、教員になっても、初任給が、革靴1足も買えない金額でしたから、生活で手一杯。普段着ばかりをもって、嫁入りしました。嫁入り道具は、いらないと、言ってくれたおかげで、何とか結婚できました。(笑)

苦労は買ってでもせよ、ということばがあります。苦労のお蔭で、どんな貧乏も、どんな食糧難も、乗り越えられるという、ヘンな自信があるものですから、年金がガタンと減っても、文句も言わずに暮らしているのですね、きっと。(^^)

 

2 件のコメント:

  1. 戦中戦後をほんとに知っている人はほんの一つまみになってしまいましたね。若い人が書いた戦後風景など読むとついいらっとしてしまいます。政治家はもう誰も知らないのでは?あの日本中の焦土、凄まじいインフレ、飢え、何もないという事がどんなことか。

    よく生きて来たなあ、と我ながら思います。60年たつとこれだけ変わるんですねえ。これからどうなるやら・・・

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    1. mimiさんは、戦災に遭われたのですね。私は田舎でしたから、まだマシでしたが、それでも死なないていどの食糧を買うのがやっとの時代が長く続きました。
      戦後の変わりようは、モノもヒトもすっかり変わりました。体型から、顔形までかわりましたものね。

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