2014年3月17日月曜日

祖母


子どもの頃、家業は小さな印刷屋だった。工員さんが3人ほどと、父母の5人でやっていた。母は、今でいう経理担当だったのだが、暇ができると、活字拾いもしていたし、名詞の印刷もしていた。そんな関係で、私は祖母と過ごす時間が多かった。祖母は、母の実母だつたので、娘可愛さで、炊事、洗濯と、こまめに家の仕事をしていたように思う。

祖母は、現在の徳島県阿波市の農家で生まれた。本人から聞いた話では、在所では評判の働き者だったらしい。「お婆ちゃんは、器量が悪く、背も小さいから、嫁にもろうてくれる人はおらんやろと思うとったけど、働き者だったので、爺さんのところへ嫁入りした」というのを何度か聞かされた。

その爺さんという人は、母がまだ結婚していないときに脳溢血で亡くなっているので、私は知らないのだが、祖母の言うことには、男前で役者のような人だったらしい。若い時から、よくもてて、よく遊んだので、祖父の母親と言う人は、「早く身を固めさせるのがいい」と思って、嫁選びをしたのだ。「息子の嫁は、器量よしで、顔や尻を撫でまわるような嫁では困る。働き者でなければ家がもたん」と言うことで探したらしい。それに叶ったのが祖母だったのだ。

祖母は、どうも男前の祖父に一目惚れしたらしい。しかし、結婚後も、祖父はかわらなかったのだろう。仕事もあまりしなかったのか、「こんな極道の長男では、すぐに家をつぶしてしまう。家は、弟に継がせることにする」といわれ、なにがしかのお金をもらって、二人で北海道という新天地に出てきたのだ。

祖父は、遊ぶことは遊んでも、お金儲けはしたのか、いい暮らしをした時代もあったようだ。しかし、相場に手を出して失敗したりするので、波乱万丈の人生だったとか。子どもは息子と娘のふたり。その一人息子を結核で亡くした祖父は、力を落としてすぐに病に倒れたらしい。

夫の死後、祖母は小間物屋を開き、私の母である娘を女学校を卒業させ、婿を自分の故郷から迎えたのだ。

私があるとき「お婆ちゃん、あの世でもお爺ちゃんと結婚する?」と聞いたことがある。すると「お爺ちゃんは、もうええ人見つけとるわ」と笑っていた。さて、あちらではまた夫婦してるかどうか。また一目惚れしているかもしれない。

私は、祖母が大好きだった。自分では、鼻が低いとか、何とか言っていたが、小柄で可愛いお婆ちゃんだった。身贔屓が強くて、私のことを賢いええ子だ、器量よしだ、何だかんだと褒めてくれたので、ある年齢までは、それが事実と思っていた。しかし、そんな事実ではないことを知る年頃になって、がっかりしたことを憶えている。祖母に文句を言うと、「それだけの頭と器量で何が悪い」(爆笑)と言う始末。そんな愛情を注がれた私は、母よりも祖母を懐かしく思っているし、恩返しのできなかったことという悔いも残っている。

2 件のコメント:

  1. いいおばあちゃんだったんですね。羨ましい。私は8人兄弟の7番目、もう親がいい年だったので、父方も母方も祖父祖母はあの世でした。

    おばあちゃんに可愛がられた事ないって、我ながら可哀そう・・・

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    1. 祖母は、長男と長女を特に贔屓していたので、妹に今でも恨まれてます。(笑)
      今でも、一番会いたいのは祖母です。逢って優しくしてあげたい。(涙)

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