2014年2月19日水曜日

松下幸之助


昨日、松下幸之助のことばを引用しましたが、彼の偉業は、改良ソケットからはじまりました。しかし、ただ儲けることだけではありませんでした。皆様のご存じのことと思いますが、こんな立派なことは、誰もが出来ることではないと、思いますので、ご紹介しておきます。(文芸春秋90周年記念5月臨時増刊号より)

彼は、明治27年、和歌山県の農家の8人兄弟の末っ子に生まれた。9歳で、火鉢店へ丁稚奉公に出され、幾つかの職業を経て、松下電器の前身となる工場を立ちあげたのが22歳。順調に伸びた社業は、敗戦で暗転。会社は財閥指定を受け、自身は公職追放。10億円の負債を抱えて「税金滞納王」と報じられる苦境に陥った。しかし、努力を重ねて再起し、「経営の神様」の称号を得られるまでなる。「苦労は、買ってでもしなければならない。そうしてこそ、間人間になるのだ。本当の筋金入りの人間になるのだ。単なる知識、学問ではいけないのだ」と、経験の裏打ちによることばのかずかずがある。
常に、「会社を大きくするのは社会のため。儲かったら社会に還元しなければいけない」と口にし、「日本人は、伝統の日本精神を失いつつある。それが政治、経済、教育の行き詰まりを生んだ原因だ」と、国の将来を愁い、そうした思いを実践するため、松下政経塾創設に70億円、「日本のノーベル賞」を目指した国際科学技術財団設立250憶円を投じた。
平成元年4月に亡くなられたが、遺産は2450億円。節税対策は一切しておらず、98%は自社株。遺族はその株を売り、莫大な相続税を国に納めた。

金持ちになればなるほど欲が深くなる人が多い中、鮮やかに、胸を張った生きた方を貫かれた方でした。

 

1 件のコメント:

  1. 偉い方ですね。儲けは社会に還元してこそ儲け。自分一人で抱え込んだって、使える額には限界がありますものね。経営の神様だわ、やっぱり。

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