2012年11月12日月曜日

共有



私のきらいなカタカナことばで、【シェアリング】という動きが、色々な分野で広がっているそうです。何のことかといえば、何のことはない、物や空間を共有することらしいのです。ま、簡単なことでは、昔の学生などの下宿屋のような型。台所、トイレは共同。電話は、大家さんの電話、風呂は銭湯に、というようなものは、一種のシェアハウスということらしいです。私の息子は、家賃の安いこういった下宿で大学生活を送りました。
 
しかし、それから間もなく、そういう下宿型から、個室マンション型に変わってきたのは、時の流れといいますか、少しでも豊かな生活を望む人たちの憧れでもあったわけで、私などは、「学生の身分で、風呂付電話付きマンションなんて、贅沢だなあ」と思ったものです。
 
それがまた再び協同生活を求めだしたのです。ただ、昔と違うのは、経済的理由というのではなく、あえて他人といっしょに生活することを選んでいるわけです。
いうなれば、一つ屋根の下で、家族に近いような生活をするわけで、いつでもイヤになれば出ていく、といった自由な気楽さもあり、反対に、都会のマンションのような冷たさや孤独感がないので、けつこう居心地がいいのかもしれません。ほどよい暖かさもあって、家族ほどの絆はなくても、それがまた、家族とちがった居心地のよさがあるのかもしれません。
 
このシェアリングは、家ではなく、車のばあいなどは、すでに17万人もの人たちが利用しているとか。
 
考えてみますと、長い歴史のほとんどは、地域社会の中で、協同の部分はたくさんありましたし、助け合いながら生きてきたものです。困ったことは相談し、助け合っていました。労働者の住む長屋といったところなど、米、みそ、お金などなど、気軽に貸し借りやっていたのですから、新しいことでもなんでもない、ということでしょうか。
 
戦後の【個人主義】では満たされない何かが新しい動きを再発見したということでしょうか。
 
全く昨日までは知らなかった人たちが、一つ屋根に棲むこともできる、ということは、無論、だんだんと信頼関係が築かれていくのでしょうが、もし、知りあい同士が、こういう共同生活をしていくならば、十分可能ではないでしょうか。
例えば退職後、気の合った独り者同士、45人が、退職金を出し合って、家を建て、プライバシーを守りながら、協同生活をするのも悪くないと思うのです。ちょっとした病気も、あるいは痴呆になったとしても、何とか助け合っていけないだろうか、なーんて、想像してしまいました。けっこう楽しい老後を過ごすことが出来るのでは?(^^)


2 件のコメント:

  1. 要するに他人同士の同居と言う訳ですね。うまく行けば生活費は安くなるし、助け合えるし・・・いい事ばかりのようですが。

    どんなものでしょう。私はどちらかと言うとあまり賛成じゃないです。マ、学生時代の1時的なものは兎も角として老後の同居はねえ。それぞれ長い間に身に付けた生活習慣は容易に変えられませんし、認知症になって助け合えるなんて、考えられません。親子でも投げ出したくなるんですからねえ。

    何かトラブルでも起これば収拾がつかないでしょうし・・・

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    1. 理想的な物を作るには、色々な条件や、約束ごとがあるでしょうね。

      15年ほど前、同級生女性4人かが、4人暮らしを始めるというお芝居を書いてみたことがあります。むろん、夢のような話で、そのまとまるまでの意見の食い違いや、年をとっていく過程の問題など、考えて行くのがおもしろかったので、一人で遊んだのですが、やはり、個性の違う同士でも、資格は必要ですね。なかなか実現は難しい。(笑)

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