2012年11月29日木曜日

小さな幸せ


「あなたは幸せですか?」と尋ねられたら、私はすぐに「まあまあ、幸せと思っています」と答えます。「幸せ」というのは、その人の個人的満足感というか、思いであって、他人の目では測れるものではありません。それぞれの持っている幸せ袋に、何を入れているかによって、違ってきます。

私の「幸せ袋」の中には、大したものはありません。でも、けっこう入っています。まず「自分も家族も、まあまあ健康」という幸せがあります。贅沢しなければ、何とか暮らしていけるという「生活の安定」といった幸せ。家族や周りの人たちと、いつも「心おだやかに過ごせる」そして、「まだやりたいことがある」「いい友人に恵まれている」などの幸せが入っています。改めて取り出して並べて見れば、袋の中身はいたって平凡です。でも、この平凡の中に満足できる自分があってこその幸せ、というのが本当のところでしょう。

身のほどを知る、もっと沢山を望まない、他人さまを羨まない、急がず、焦らず、自らの足にあった速度を守り、やりたいことだけコツコツとやっていく、……こうしたことが、私の生き方なので、体調を崩すようなストレスもなく、いたって平凡な毎日です。トシを考えず、欲張りすぎて忙しく、ゆとりのないことが、問題かもしれません。

誰もが行き着く先が、「死」であることを思えば、争うことの無意味さ、競い合うことの無駄、こうしたことをしっかりと噛みしめて生きていきたいと思っています。

世の中には、いろいろな老人がおりますが、多分、幸せ袋に詰め込んでいるものが、あるいは詰め込もうとしているものが、よく似たもののように感じます。
過去に詰めたものが抜け落ちたり、偽物だったり、思い違いだったり……ということがあったにしても、今は、それぞれが、ささやかであっても、「本物の幸せ」を求めていらっしゃるのではないでしょうか。


「幸せは歩いてこない だーーから歩いて行くんだよーー」という歌がありましたが、元来幸せになるためには、自分から歩いていくことが大切なんだと思います。目の前に落ちている小さな幸せを拾うことが出来るか、綺麗な小石を拾っても、いい音楽を聴いても、幸せを感じ、感謝できるか、そのへんで、どうもその人の『幸せ袋の重さ』がきまるのではないかと思うのです。 

 

2 件のコメント:

  1. 幸せ袋、なるほどね。私の人生、はた目には決して幸せには見えないだろう、と思うのですが、自分では結構満足してるんですよ。

    この間もPTさんと話していて(20代の人です)「何歳頃が1番幸せでしたか」と言うので、「今が1番幸せですよ」と言ったらびっくりしていました。きっと、年寄は不幸と思ってるんでしょうね。思うように歩けないし・・体は弱ってくるし・・でも、それはそれ・・幸不幸とは別の問題ですよね。

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    1. 「今が一番幸せ」と思う人生は、とてもいい人生ですよ。ま、いつもいつもそう思うのは難しいかもしれませんが、年をとってそう思えるのは、最高です。
      若い方たちは、「年寄りは不幸」そうおもっているから、年寄りにはなりたくないんでしょうね。(笑)

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