2013年2月20日水曜日

心に花


新聞に【百壽者に学ぶ】と言う記事が出ている。百歳すぎても、お元気で活躍しているような方は、やはり凡人ではない。なかなか見習えるようなレベルではない。

私だって、元気で長生きできるのであれば、「素敵な老人」になりたい、と思っている。だが、これはなかなかの難事業と思う。毎日眺める鏡の中の顔が、ドライフラワーになっていくのは自然の成り行きだが、せめて『汚くない老人』ということで、そこそこのお洒落は心得ているものの、でも、「素敵」と名がつくと、本勝負はやはり内面の磨きと思うので、お洒落ほど簡単じゃない。

願わくば『心に花を』持ちたい。優しく可憐な、そして香りのいい、皆さんに愛されるような花を、と思っているのだが、これもまた『ローバは一日にして成らず』で、生きてきた歴史がモノをいうだろうから、ますます難しい。

何だかんだ言っても、老いは待ったなしにのしかかってくる。仕方がない。素敵な先輩や後輩という鏡を見ながら、そして自分もしっかと鏡に写しながら、メッキしていくしかなさそうだ。嬉しいのは、素敵な友人知人に恵まれていることである。

 

2 件のコメント:

  1. 内面を磨いてみても、老醜は避けがたいですね。綺麗なおばあちゃんておりますが、それもある年齢まで。死ぬまでと言えないのが辛い。

    そのうちに、内面の方も磨くどころかスカスカになってくる。嫌だなあ。神様はどうしてそうなさったのかしら。

    「ぐじゃぐじゃのおじやなんかを主食とし何で老後が美しかろう」斉藤史さんの作品。共感しきり。

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    1. mimiさんらしくもないですよ。大丈夫です。ま、痴呆という病にとりつかれたら、もうこれは、枠外です。なるようになれ!と。(笑)

      お鯉さんなど、死ぬまで(100歳かな)お化粧していました。それに、見てくれじゃありませんから、mimiさんの知性は、ずっと輝いていますよ。
      (^^)
      ま、お互いうまく年寄せていきまひょうよ。

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