2012年4月5日木曜日

城崎温泉

春のお彼岸頃だったと思う。小雨の降る肌寒いある日、妹たちと親の墓参りに行き、弟の家に立ち寄った。義妹も交えておしゃべりに花が咲いた。久しぶりに皆で温泉にでも旅行がしたいと妹が言い出した。そんなに遠方には行かれそうもないが、二日や三日ほどの旅行なら、何とか行けると思ったので賛成した。
妹が、「一番忙しそうな古女姉さんの行けそうな時でいいから、計画を立てて」と言う。

そのとき、義妹が、「城崎温泉に一度行きたいんやけど……。お義姉さんたちはもう行ったことあるわなあ……。私はまだ行ったことがないんよ……」と言う。
他の連中は、もう2度3度と行っているのだが、彼女の目がまるで少女が宝塚ジェンヌを恋焦がれるような目つきをしていたので、咄嗟に「あそこは何度でも行きたい温泉だから、そこにしてもいいよ」と言った。
 
こういうことは、日にちをいついつまでに、と決めておかねばなかなか出来ないもので、言われてからもう何ヶ月も過ぎている。そろそろ秋の旅行の季節が来てしまった。温泉向きの季節である。やっと計画してみようか、という気になった。

そんな時、突然義妹が入院したという報せが入った。弟の話しでは、尿の出が悪くなったので医者に診てもらったら、すでに手術も出来ない末期癌だというではないか。いつ亡くなってもおかしくない状態だというのだ。
まだ60歳になったばかりだった。本人には、何も言ってないので、そのつもりで見舞ってくれとのことだった。

旅行のことなど、私の頭からすっ飛んでしまい、何とかよくなってほしい思いで慌てて見舞いに行った。

「お義姉さん。旅行いつ頃の予定?」と尋ねられた。はっと胸を突かれたが、すぐ「Yちゃんが退院したら、全快祝いということにしようか」と言うと、「わあ、嬉しい。早くよくなるわな」と嬉しそうに言う。

次に訪ねたとき、義妹は、
「お義姉さん。私、お父さん(主人)に、城崎の地図持ってきてって頼んだら、これ持ってきてくれたんよ。退院するまでに、城崎のこと、調べてみよう思って」
と、地図と観光ガイドのような本を私に差だして見せてくれる。
付き添っていた娘は、そっと場を外す。泣きに出たにちがいない。
「どれどれ。私が行ったのは何年も前だったけどね、ここには外湯っていうのが何軒もあってね……」
私は、覚えている限りの城崎をしゃべりまくった。

帰りの車の中で、私は思いっきり泣いた。ああ、なぜあの時すぐに計画立てて、城崎に行かなかったのかと、後悔で地団太を踏む思いであった。
そして思った。こんな取りつくろったことが、いつまで続けられるのか、これでいいのだろうか、いつの日か、「もう助からない、と知る時がきたら、その悲しみは、風船のように破裂しはしないか、家族はどう受け止めてあげられるのか……。

私がもし、その立場であつたら……。
そんなことを考えると、やはり本人の気持ちというものが一番大切だと思うのだ。こうしたことも、遺言同様に、家族に伝えておかねばと思う。

Yちゃんが亡くなってもう4年になるが、思い出すと胸が痛む。
(ごめんね。いつか城崎に行く機会があれば、貴女の写真を必ず持っていくよ。一緒に城崎に行こうね)

2 件のコメント:

  1. ごまめさん、切ないお話ですね。でも、義妹さんはこの世に希望を残したまま旅立ったんですから、それでよかったのかもしれません。

    逝くときは、何かこの世に仕残したままの方が案外いいのかも知れませんよ。

    もう何もすることがなくなって、さようならするのも、少し寂しい気もします。どうなんでしょう、よく分かりませんが・・・

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  2. 死ぬほどの大病も、死を覚悟したこともないので、よくわかりません、私も。
    まあ、この歳まで生きてこれたので、いざとなれば何とかなりますが、やはり、残された人達が嘆き悲しむのは、辛いですね。理想は、家族も世話が出来、淋しさと、ちょっぴりほっとする、そんな逝き方が理想かもしれませんね。

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