2012年4月23日月曜日

モーツアルト

音楽の才能が全くない私だが、騒音音楽以外は、クラシックもポピュラーも、聞いている分には何の差しさわりもなく気持ちよく聞ける。

パソコンの中ですが、以前ある方が書かれていることをここに一部を移して見ます。

『モーツアルトをえがいた映画(アマデウス)の中では、ある日お隣の奥さんが、彼に苦情を言い立てる場面がありました。ヒステリックな甲高い声で際限もなく続くお隣さんの苦情。モーツァルトはその甲高い苦情を聞きつつそこから得られるインスピレーションで、オペラの曲をイメージし曲作りをします。
また、このモーツァルトの妻コンスタンツェは悪妻として知られています。
1791年の夏の終わり、ウイーンのモーツァルトの家に背の高い痩せた男が、書名のない手紙を持って訪れ、『あなたの音楽の愛好家からの依頼』だといってレクイエム (死者のための鎮魂ミサ曲) を依頼されます。依頼者の名前は明かされないまま、『おやりなさい』というコンスタンツェの勧めで彼はこのレクイエムを手がけます。
生前殆ど才能を認められず、貧乏と病気に悩まされ、過労に喘いでいたモーツァルトは、時々催促に来るこの痩せた男に気味の悪い幻想を抱き始め、あの男は死の使いなのではないかと思い始めます。
そして彼の予感は的中し、レクイエムを完成するより早くこの世を去ります。
妻のコンスタンツェは浪費家だったようで、そのため、まだ評価が定まらず窮乏生活を強いられたモーツァルトの過労を招き、過労と過作がモーツァルトの死を早めたといわれています。
しかも、彼女のおかげで、モーツァルトは遺骨すら行方不明のままだそうです。
当時貧乏のどん底だつたので、ろくな葬式も出せず共同墓地に埋められました。病弱を理由に、妻として埋葬にも立ち会わなかったらしく、このために後にモーツァルトが有名になっても、遺骨を見分けることが、出来なかったらしく、ウイーンにある彼の二つの墓はどれも空墓だそうです。
あの有名な画家の東山魁夷さんは『モーツァルトの曲を聴いていると絵の構想が生まれてくる』と語ったそうです。
早死にした割に後世に残した作品の多さは、コンスタンツェの悪妻のお蔭だったのかもしれません。モーツァルトがもっと長生きをしていたら後生の評価はどうなっていたのでしょう。興味のあるところです』

略しましたが、大体、以上のようなことが書かれていました。
モーツアルトの作品を聞くことはあっても、悪妻のために早死にし、墓まで空っぽとは知りませんでした。

私からみたら、一流の芸術家は、全て天才なんですが、中でも、モーツァルトは天才中の天才と思っていましたが、そんな苦労もあったのですね。
思うのですが、音の芸術や、色の芸術は、音や色そのものには、固定した意味というか実用的な意味を持っていません。

それにひきかえ、言葉の芸術文芸は、ひとつひとつ実用的意味をもつことばでつくられるものなので、文芸は平易なジャンルという感じです。
これが、多くの人たちを文芸に走らせているのでしょうか。
俳句の世界などの裾野の広さなどを考えると、音楽や絵画どころではないでしょう。
でも、本当は、そんな安易なものでないのでしょうが・・・。

2 件のコメント:

  1. 俳句や短歌と言った短詩型文学は言葉の意味に頼ってはならない、と教えられて来ました。韻律と言葉が共鳴して初めて意味が発生すると・・・でも実際にやってみると、言うほど楽じゃないですよね。つい、言葉の辞書的意味に頼ってしまいます。芸術の種は日常の中にあるのかもしれませんね。

    風邪を引いてしまいました。声が出ません。昨日から寝込んでいます。

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    1. >韻律と言葉が共鳴して初めて意味が発生する。

      なるほど。言葉の上では分かりますが、これは難しいですね。mimiさんクラスじゃないと。
      意味が発生するというよりは、感動を与えるというか、いいものになるというか……。

      寝込んでしまいましたか。気を付けてね。毎日気温の上下が大きいですからねえ。早くよくなってください。

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