2012年4月21日土曜日

夏みかんの季節

車で5分も走ると、新鮮な野菜が安く手に入る地元の農産市がある。
今朝も覗いてみたら、もう、八朔が終わりになったのか、甘夏みかんが出回っている。私はよく見かけるみかん類の中では、甘夏が一番美味しいと思う。八朔より果汁が多くて『みかんを食べた』、という満足な気分になれる。

そんなわけで、昔、甘夏の苗木を2本植えたのだが、実が生り出すと、甘夏は1本で、あとの1本は八朔だった。本職が間違うくらいだから、素人目には、見分けがつかない。それにしても何となく騙されたような、損をしたような気持ちだった。

この季節になると、忘れられない思い出がある。今でいう特別支援学級というのだろうか、当時は、特殊学級といって、一般学級では学力がついていけない子供を集めた学級を担任していた。

「さようなら」と教室を出て行くK子が私の所に引き返して来た。そして二人は、こんな会話をした。
「先生、夏みかんすき?」 「大好きよ」「ほな、明日、持ってきたげるけんな。うちになってるんよ」「そうなの。ありがとう。あ、重たいけん、一つでいいよ」「うん。二つ持てる」「楽しみにしてるわね」

翌日の朝、教室に行ってみて驚いた。A子が腕白なB介に胸ぐらを掴まれて泣かされているではないか。机の下に、夏みかんが二個転がっている。周りには、4・5人が取り囲んで成り行きを見守っている。

私を見つけた周りの子が口々に経過を言ってくれるのだが、よく解らない。どうも、B介が先に手を出して叩いたらしい。私はぐっと睨みをきかしてB介の腕を掴んだ。
「どうしたの?訳を言ってごらん?」 私のことばは、訳を聞く前から、B介を悪者と決めつけていたのだろう。B介は、ぐっと私を睨みながら、私の手を振りちぎるやいなや、泣きだした。泣きながら、「こいつが悪いんじゃ。こいつが、ぼくの言う事、きかんけん、わしが怒ったんじゃ。こいつが悪いんじゃ」

するとK子も負けてはいなかった。「センセに夏みかんやるって言ったら、センセに夏みかん食わせたらいかん。持って帰れ言うけん、イヤって言ったら叩いた。アーンアーン」
ありゃありゃ、A子、こんな大きな声出したの聞いたことない。
更に大きな声で泣きだした。

今度はB介が怒鳴る番だろう。さあこい。
「センセに夏みかん食わしたらいかん言うのに、お前、言う聞かんけんじゃ。知らんのか。お前、古女センセが、嫌いなんか! 夏みかん食うたら、センセ学校休むでないか。みかん食うたら子ができて、学校休むんぞ。それでもええんか。うちの婆ちゃんが、言うとったんぞ。『かあちゃん、みかん食いよる。子ができるな』って。ほんまに子ができたんぞ。それでも先生に食わす気かっ」

一瞬、時間が止まったような、不思議な時間だった。エビのように身体を曲げて笑いたいし、二人を抱きしめて泣きたいし、『お前、それでも先生か』とブン殴られたみたいだし……。

気がつくと、私はA子とB介を両腕に抱え込んで天井を睨んでいた。笑いと涙を絶えようとして……。




2 件のコメント:

  1. 夏みかんと聞くだけで懐かしさ一杯です。私の生家の裏庭に3本もありました。毎年、実を着けていましたが、酸っぱいので誰も食べず、生るのも落ちるのも自然のままでした。

    教室の話。噴き出しながら、子供たちの純真さに感動の涙がでそうにもなりました。先生と言う職業やっぱりいいですね。ごまめさんお幸せですよ。

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    1. 教師という職業は、ともすると、空しい気分に落ちこむこともありましたが、とくに特殊学級というのは、努力の割には報われない仕事のように錯覚しがちです。でも、この事件で、はっと目がさめた思いでした。私がその後障害児教育に職を引くまでのめり込んでしまったのは、夏みかん事件がきっかけかも知れません。おかげで、たくさん学ばせてもらいました。

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