2012年4月7日土曜日

美穂さんが……

高井美穂さんを始めて知ったのは、今からちょうど12年前。2000年の春だった。
可愛い素敵なお嬢さんで、28歳の若さで、衆議院議員に立候補した勇敢なお嬢さんだった。
生まれは四国のおへそに近い田舎だが、すっぱりと垢ぬけた美人なので、
「政治家になって苦労するより、いいお嫁さんになった方が幸せじゃないの?」
なんて言う方もいたのだが、その意思は固かった。

全国区から、小選挙区になって、仙谷党員の私も、1区の仙谷さんには投票できない2区という区域の住民なので、仙谷さんの息のかかった高井美穂さんの応援にまわった。

大したことが出来るわけもないのだが、それでも猫よりましやと思って、お炊事などのお手伝いをしたのだ。
なんせ、「日本の政治が変わらにゃ、どうにもならん」という思いだったので、美穂さんのことは、あまりよくは知らなかったが、仙谷さんの教育次第では、きっと恥ずかしくない政治家になってくれる、間違いないと思ったのだ。

残念にも、その時は落選したのだが、それにも懲りず、思いを貫いて、今日、文科副大臣に任命されたのだから、大したもの。それも、前文部科学政務官時代の大きな働きを評価されてのことであるが、それにしても、立派である。
初めて議員になってから、8年半くらいだろう。努力家で勉強家なので、当然というべきか。今や、どこに出ても何を話しても恥ずかしくない議員さんだ。
政治にかける思いがいい加減でない、ということが、やはり彼女を成長させているのだろう。

今は、結婚もなさり、二人のお子さんを夫に託しての単身赴任で頑張っている。
夫さんもご両親も、美穂さんのために不便をしのいでいられるのだが、美穂さんも、人一倍頑張って日本の子供たちに幸せな環境を、ということで多くの仕事をこなしてこられた。
 
相変わらず美人でスマートな美穂さんだが、ま、太るひまもないのが現状だろう。
あるとき、美穂さんの演説を聞いていた仙谷先生が、「あの小娘だったのが、これだけのことが言えるようになった」と笑っておられたが、成長した姿は、仙谷先生にとっても、嬉しいことだったにちがいない。

これからが大変だ。仕事は山のようにあるし、お金はないし、国民は不平不満を言いまくるし、新聞テレビは自分たちのご都合主義にペンを走らせる。いくら叩かれるのが仕事と言っても、政権交代後、確実に変えてきたことは、殆ど報道されていない。
マニフェストがどうのこうのばかり言うのを聞くと、ことばこそ違うが、自民党さんにも、「公約・公約」と、たくさん聞かされたけれど、どれほど実現されたか、それを思い出してほしい、と言いたい。
民主党を贔屓して言っているのではない。50年の政権歴史の中で、よかったことも悪かったことも、反省出来ないような議員さんは、議員の資格がないと思うからだ。

ああ、恥ずかしながら、古女の歯ぎしりがはじまると、とまらない。(笑)
これくらいでやめとこ。 美穂さんには、頑張ってください、と声援を送りたい。

2 件のコメント:

  1. 教育って大事な仕事ですよね。高いところに立って全体を知ることも大事でしょうが、高井さんには是非、現場を知っていただきたいのです。今の教育現場をね。

    ま、教育だけではないでしょうが、政治家は現場を知らなさすぎるんじゃないかなあ。医療の現場、介護の現場、理屈ではなくて現実を知っていただきたいと思います。

    高井美穂さん、がんばれ。

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    1. 現場は、なかなか素顔を見せないこともありますね。医療も施設も、自分たちの大変なことは語っても、中に入っている人達の不満は伝わりにくいでしょうね。
      荒れた学校の現場など、知っていただきたいですね。
      ノイローゼになる先生が多すぎます。

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