2012年4月27日金曜日

父の思い出

昨日は、父の命日だったので、妹たちとお墓参りに行ってきた。86歳で旅立ったが、早いもので今年は22回忌になる。

父の思い出で一番強烈なのは母を見送ったときのことである。
父は、入院した母の看病を、7年間もの間、病院に寝泊まりしてやり通した。
晩年の母は、病気に重ねて視力がなくなり、おまけに認知症にもなったものだから、父の苦労は大変なものだった。私たち子供らが、交代で看病をすると言っても、「お前らには無理じゃ」と言って看病をさせてはくれなかった。
無理に家に帰らせても、夕方には病院に帰ってきて、母に「すまんかったのう」と謝るしまつ。

そんな父が、母の死を冷静に受け止めていたと思えたのは、泣いている私らに、慰めのことばをかけてくれたりしたからだ。
私も、母の死は悲しかったが、父の身体のことを考えると、これ以上のことはのぞめないという気持ちだった。母は幸せに逝ったのだから……と諦めた。

そんな父が、母の遺体を家に連れて帰るなり、くずれこむように倒れ込んでしまい、周囲を慌てさせた。そして、母と並んで床に着き、布団を被り泣きだしたのだ。

お葬式の日、遺体を祭壇のところへ運ぼうとしたとき、父は、起き上がることもできずに、身を震わせながら、「半紙と筆をもってきてくれ」と言う。
そして震える手で母に別れの手紙を書き出した。

婆さん、長い間世話になったのう。ありがとう。こんな大事な時に、葬式にも出てやれん。すまんことだ。こうして寝ていても、お前が、爺ちゃん爺ちゃんと呼ぶ声が聞こえてきて辛うてたまらん。一人で遠い所に行かんならんと思うて、心細い思いをしとるのだろうが、わしの代わりに阿弥陀さんが迎えに来てくれとるけん、心配いらん。必ずお前を極楽浄土に連れて行ってくれるけんのう。そしたらもう目もよう見えるようになり、病気も治る。心配ない。わしがそちらへ行くまで待っててくれ。
南無阿弥陀仏  婆へ  爺より

やっとこれだけのことを泣きながら書いた父は、「これ、婆さんに握らせてやってくれ」と言って布団に顔を埋めた。
目の見えない母に、私は声を出して読んで聞かせ、母の手に握らせた。

それから一年後、父は母のところに逝った。
私は、父がしたように、納棺される父に手紙を書いてあげたいと思ったのだが、書けなかった。「お父さんの手紙にはかなわないや。だから書かないよ」と父の耳元で囁いた。

この話は、あちこちに何度か書いたことがあるのだが、父のことを書きだすと、何度でも書きたくなってしまう思い出である。


2 件のコメント:

  1. 父の愛情や偉大さは亡くなってから初めて分かるもののようです。私も土にまみれ、ひたすらに働く父を偉いなんて思ったことはありませんでした。

    でも、今の私には父の気持ちがよく分かるのですよ。8人の子供を百姓だけで育て上げ、何とか教育し、世に残しただけでも偉いと思います。愚痴を言わない人でしたから尚更・・・父は子供を叱らない人でしたし、能力以上の事を要求もしませんでした。

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    1. 立派なお父様でしたのね。ご苦労なさっても、それが実られたのですから、お幸せな人生だったと思います。

      とは言いながら、私も父にはもっと楽をさせてあげたかったと思います。

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