2012年4月1日日曜日

四月

ちょっぴり寒いが、待ちに待った四月が来た。春の訪れが遅かった今年、夕ぐれが長くなってきたというのに、一月や二月のような雪景色など見せられてきたせいか、格別ほっとしている。
ここ一年あまり、テレビで荒涼たる風景をイヤというほど見て来たせいもあって、梅だよりだの桜だよりだのといった綺麗な画面に出会うと、つい顔まで開いてしまう。

いつもの年なら、桜よりも一足もふた足も早く咲く我が家の老辛夷が、なかなか蕾が開かないので心配していたのだが、5日程前から白い花が開き始めた。
図体が大きいので、日当たりのよくないところの枝は、まだまだ堅い蕾。全ての蕾が開く頃は、「お先に」と散ってしまう花もあるのだが、それでも咲き揃う日が楽しみである。

辛夷という樹は、秋に葉を落としたら、待ってましたとばかりに堅い小さな蕾を枝にくっつけ、そのまま冬を越す。蕾がほころびるまでは、枯れ木のように不愛想だ。そのせいもあって、花を付けた辛夷は、とても愛おしく思う。というのも、この樹はもうかなり草臥れていて、枯れる寸前のように思えるのだ。「今年は花をよう咲かすかしら……」と、ここ4.5年心配している。
また、たくさんの花を咲かせたら咲かせたで、『樹の枯れる前は、たくさんの花を咲かすらしい』と聞きかじったことを思い出して、来年の心配までしてしまう。

昨日は生憎の雨。雨が止んだと思ったら強い風だった。吹きちぎられた白い花弁が、地面にへばりついている。よし、声援を送っておこう。

  〝負けるなよ雨にも風にも花こぶし〟  ごまめ

ただ、辛夷は散り際が潔くない。大年増になり、色あせて含羞らしきものも失せてしまっても、その花びらはしがみ付くようにぶらさがっている。いや、もっと好意的に見てあげようか。生きている限り、生に執着している姿はあっぱれと。

四月といえば、若い人にとっては、就職、入学と大変な月。我が家の末孫も、家を離れての大学生活が始まる。私としては、彼女の高校3年間を、徳島市内まで車で送迎させていただいた身なので、「やれやれホッ」の気分なのだが、淋しさもひとしおである。
それだけではない。ご本人は、ただただ勉強をしていたらよかった今までの生活から、学生といえども半分は社会生活を強いられる。〝♪いちねんせいになったらー〟の歌じゃないが、いい友達に恵まれ、いい先生に出会い、決まったお金でのやりくり、そして何より満足に3度の食事をしてくれるかと、不安はどこまでも広がっていく。「ま、親がついとるわ」と、適当に気持ちを裏返すのだが……。

それにしても春はいいものだ。老骨にムチうってくれるものが、目の前に広がってくる。天を突く勢いで伸びる、憎っくき雑草でさえも……。








2 件のコメント:

  1. お孫さん、大学入学なんですね。おめでとうございます。暫く心配ですね。でも大丈夫、しっかりしたお子さんですから・・・

    私の町に谷通りと言う桜並木道があります。例年なら今頃、花盛りなのですが、今年はまだ蕾が固いようです。気候変動は私の体にも影響します。人間も自然の1部なんだと痛感しています。

    近場の花は毎年見ますが老いて朽ちかけた花がぼつぼつと花を咲かせているのを見ると思わず涙ぐんでしまいます。清楚な若桜より老い桜に心惹かれるのはやっぱり年のせいなんでしょうね。

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    1. mimiさん、朽ちかけた樹が花を咲かせている姿は、ほんとに涙ぐましいですよね。
      私、最近は、涙もろくなりました。若者も老人も、健気にがんばっている方のTVをみたら、(::)です。

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