2012年4月16日月曜日

腕時計

腕時計を持たなくなって久しい。正確に言うと、退職してからだから、20数年になる。
腕時計なくしては商売にならなかったためか、退職したとたんに、腕に巻きつけている時計がわずらわしくなつた。何しろバンドがきつくても緩くてもいけないし、夏は汗で皮バンドなど、へんな匂いがしてくるし、バンドの当たる皮膚が痒くなったりもする。皮膚の弱いタチなのだ。(厚いのは面の皮だけと言いたいのだが、その面の皮までも、化粧品に負けたりするのだ)、

外してみると、特別に不便も感じない。外出しても至る所に時計があるものだから、不自由をしないのだ。
今ならば、携帯電話を持ち歩いているが、当時はそんなものもなかった。でも慣れたらどうということもなかった。

私の家には、お金はないが、時計と名のつくものはどっさりある。右を見れば壁掛け時計、左を見れば置時計、狭い部屋、どこを見ていても、時間は分かる。TVを付ければイヤでも時間は目に入る。

家の中にいつもいらっしゃる知人が、「癖になっているので、腕時計は外せない」と笑っていたが、そうしたいお方は家ででもお風呂ででも、していたらいいことである。

こういう私も、「腕時計」には、忘れられない悔しさがある。
腕時計を始めて買ってもらえるのは、小学校を卒業して女学校に入る時だった。
近所に時計屋さんがあって、ウインドウに、たくさんの腕時計が飾られている。そこへちょくちょく覗きに行って、買ってもらう時計を探っていた。こういうのは、実に楽しかった。

ところがである。女学校の合格発表の日、時計を買ってほしいと言うと、母が、「お父さんがこれを使いなさいと……」といって引き出しからおもむろに出してきたのは、女学生が使うには、どう見ても不似合いな時計だった。それは、あとで分かったのだが、家の前に落ちていたもので、当時の玄人さんといわれていた女の人の持つような、細長い小判型のハイカラなものだった。

ああ、何と言うことか。せっかく見付けてあった可愛いバンドのついた丸い時計は、もう買ってはもらえないのだ。

当時の家庭事情は、時計一つ買えない事情ではないにもかかわらず、拾った時計を与えられたのだから、何とも恨めしかった。
心の中で「ケチ!」と叫んでも、親に面と向かっては言えない時代だった。
その時計の見づらいことが、また不満だった。形が変形なので、装飾品にはいいが、実用的ではない。学校では自分の時計をみるより、友達に時間を訪ねることが多かった。その時計が半年ほどで動かなくなったときの嬉しかったこと、今も忘れていない。


2 件のコメント:

  1. 私も5,6年前から腕時計は止めました。それまで深い考えもなく腕に巻きつけていましたが、もう面倒くさくなったんですね。

    この狭い部屋に3個も時計はあるし、ハウスの中では玄関にもロビーにも食堂にもお風呂にも時計はあります。外へ出ればスーパーにも郵便局にも銀行にも時計だらけ。道路で時間を知りたくなれば携帯のふたを開ければいい訳で一向に不自由しません。何のために腕時計なんて持っていたのか、今、考えると不思議です。

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    1. 今はもう装飾品の部類でしょうか。100円ショップにも売っていますが、一方、高価な時計もありますね。私には見分けがつきませんけれど。(笑)

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