2012年4月26日木曜日

オリンピックの輪

オリンピックも開催まで100日を切ったので、だんだんと賑わしくなってくるようだ。
自分がスポーツと縁がないためか、あまりスポーツには興味がないのだが、それでもオリンピックで金だの銀だのという競技は、応援もしたくなる。ま、そんな程度の関心なので、東京オリンピックのときのことも、あまり記憶にない。むしろ、当時小学校に通っていた息子のことを思い出す。

息子が、真面目な顔で「オリンピックの輪は、どうして5つしかないの?」と言う。おや、こんなことに興味を持つようになったのかと、親は口元を緩めて易しく説明した。
「ふうーん」とか何とか言ってあっさりと外に遊びに飛び出して行った。

それから10日ほどたった日曜日、私は、我が子の運動会を見に行った。
いよいよ息子の出番である。私の席の前方に、色テープでまいた竹の輪が5つ並べてある。ピストルの合図で飛び出した子は8人。我先に輪を掴み取ると、輪の中に足をいれて身体をくぐらせる。
中には、ひとの掴んでいる輪に、素早く足をいれてしまう子もいる。せっかく掴んだ輪をむざむざ取り上げられた子は、じっと突っ立ったままその子が抜けてしまうのを待つしかない。輪は5つしかないのだから、どうしたって3人は、人様の抜け殻である。

ぐっと引き離された3人だが、それでも最後まで力いっぱい走って、ゴール前では、餅になって転がると言うサービスまでして皆の笑いと拍手をあびていた。

お恥ずかしいことだが、私は胸の奥がポンプみたいになって、熱いものが涙といっしょになって湧いてきた。
そして、輪を横取りされたのが、もし、我が子でなかったら、「オリンピックの輪が、なぜ5つしかないのか」と質問した息子の本当の意図を知らずじまいだったろう。

その前の年だったか、私は仕事があって見にいけなかったのだが、義母が幼稚園の運動会を見て、悔しがったことがあった。走って行って動物のお面を拾ってそれを被り、その動物の真似をしてゴールまで走る競技であったらしい。足の速い子は、馬だの兎だのを拾い、遅れた息子は、残っている蟹の面を拾って、横ばいに四つん這いになってゴールにたどりついたそうだ。むろんピリだった。

義母が、「まあ、ご丁寧に両手をついての横ばいじゃ。ちょっと横向いて走ったらええものを……」と言うと、息子は、「かんまんもん。ビリでも一番上手に蟹さんが出来たって、先生がほめてくれたもん」と、ピリの屈辱よりも、先生に褒められたことを名誉に思っていたので、堂々としていた。

「学校は、もっと気をつかって、お面は袋に入れて、見えないようにするべきで、こんど先生に言うたらええ」なんて、憤慨していたのだが、「ほんなん、言うたらいかん。先生はなんや悪うない!」と息子がどなったので、文句はわが家の中でおさまった。(笑)

お面もオリンピックの輪も、足の遅い子が損をするという点では、よく似た競技である。義母が苦言を言ったときは、「何も子供の遊びにそこまで……という思いがあったのだが、自分がこの目でしかと見てしまうと、義母の言い分も分かるのだが……。

山田太一氏の随筆に「雨の運動会」というのがある。
『面白くも何でもなかった運動会が、雨になって、雨の中を転びながら走ったリレースが素晴らしく感動した。そして、不運にも転んで引き離された子どもの方が、難なく走った子どもよりも、強く印象に残っているに違いない。見ている方も……』
といったようなことを書いていた。まったくその通りだ。涙をぬぐいながら見た運動会をそうやすやすとは忘れられない。

2 件のコメント:

  1. 真面目で可愛いお子さんだったんですね。ごまめさんも普通の母親だったんだと知って安心しました。

    私は子供の運動会も孫の運動会も通り過ぎて、今は曾孫の保育所の運動会です。残念ながら西宮までは見に行けません。娘が婆馬鹿のメール送ってきます。

    みんな遠い遥かな思い出です。

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    1. mimiさんと私は、同世代なのに、貴方は、もう曾孫さんの運動会ですか。遠方では、ちょっと大変ですね。
      私は、息子の運動会は、殆ど行っていません。勤め先の運動会と重なるのです。年休とるわけにはいきません。(笑)

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