2012年4月12日木曜日

年齢

一年が早いと思うようになって久しい。その気持ちは年ごとに強くなるだろう。残り人生の分母が小さくなってくるのだから、分子の1年は、当然惜しむ気持ちも強くなって当然。必然的に『早くも過ぎてしまった…』となるのだ。

鏡とにらめっこしてみるまでもなく、当然のことながら、『お肌』はそれなりに衰えているし、鏡には映らない『おつむの中身』も、トシ相応に萎えてきた。
天心甘栗のように、隙間だらけになっているネガを見たくないので脳検査にも行かない。

女性の多くは、「お幾つ?」なんてぶ遠慮に聞かれるのは嫌いらしい。(『らしい』などというと、男性みたいに聞こえるが、私は、ある面では男性並みの無神経さと大雑把さを持つものだから、トシぐらい平気なのだ。)聞かれた女性は一瞬相手の顔を見つめる。なかなか答えないのは、忘れたわけではない。忘れるどころか、他人様に1才でも多く間違えられようものなら、すぐに訂正するに違いない。
女は特に年齢には神経質になるのだ。

以前、或る書類に、年齢を書き込んでくださいと言われてペンを持った。ちょっと時間を置いたらしい。忘れたと思われたのかも知れない。「大体でいいですよ」とおっしゃる。(大体でいいなんて、サバ読んでもいいよ、ということ?それとも四捨五入でもかまわないの? じゃあ、九十歳と書いておこうか。ふふふ)なんて思いながらも、正確に書き込んだ。もし私が年齢欄に、九十歳と記入していたら、「あら、お若くみえる」と、思われるだろうし、もし、七十歳と書いたら、(おや、お年のわりに老けてるね)と思われただろう。
同じサバを読むのなら「若い」と言っていただける方が、いいかもしれない。

いや、実はこんなことは、どうでもいいと思っているのが本音である。
というのは、もうトシなんて、80歳過ぎたら、どうでもよくなるものだ。
開き直っているわけじゃないのだが、気持ちの持ちようの方が、実年齢よりも
ずっと大切と思うからだ。
トシを忘れていることが、元気の元になることが多いのだ。トシを考えていたら、今していることで気恥しいことはいっぱいある。

ときによっては、70代、60代の若い人たちを叱咤激励したくなるのだが、そんなとき、お節介ながら、「私は80過ぎてるのよ。貴女達は、まだ60代なんて青春じゃないの」と言うと、そうだなあと、思ってもらえるし、それはとてもいいことだし、私の気分も悪くはない。

ただ、高齢者というのは、いつ何どき、何が起こっても不思議ではない。そのことさえ忘れていなければ、トシのことなんてどうでもいいのだ。……と、思うものであります。



2 件のコメント:

  1. この年になって年齢にこだわる人を見ると思わず笑ってしまいます。80歳から先は、伸び上がればあの世が見える位置。周りを見渡すとサイの河原の風景。

    日は照り風は吹き、雲は笑っていますけれど、人生の最後を過ごす土地であることは変わりないと思うわ。居心地良ければ、80歳であろうと90歳であろうとなーんにも変わらないでしょう。

    返信削除
  2. さすがmimiさんはいいことおっしゃる。ほんと、のびあがったら、あの世がみうた。(笑)

    返信削除