2012年5月30日水曜日

猫の死 その2

  昨日の続き

私はふと、釈尊の最後の旅を想った。八十歳を数えて、釈尊は老衰される。
「自分の体は、古びた車が皮ひもであちこち縛りつけられて、やっと動いているようなものだ」
と、おっしゃっているが、アマテラスの体が、そっくりそのままだ。体がゆがんで、ぎこちなく、きしむ音が聞こえるようにして歩いていく。

釈尊は死を予知して、マガダの城から北に向かって急がない旅をなさっている。急ごうにも急げない最後の旅は、ひどい下痢と腹痛に悩まされた。たぶん大腸癌であったろうと、現代の医師たちは推量している。
アマテラスも、腸に癌があるから、あんなにおしりから血を流しているのか。

それにしても、どこまで歩いて行くのだろう。この道に死体を隠してくれるような場所はないのに……。

向こうに明治神宮が見えてきた。
ああ、あの神宮の森の中で死ぬのか……。
あそこなら、立入り禁止地域なので、誰の目にも触れることもない。
しかし、まだ二百メートルの坂道が続く。

のろのろと、アマテラスは、けれども、確実に神宮を目指して歩いて行くのだ。
これだけの余力を残して、最後の旅に出かけたアマテラスに、私は驚嘆している。
立ち止まり、うずくまる。そしてまた歩きはじめる。すさまじい意志の力がこちらに伝わってきて、私は泣きそうになっていた。

「人間はみっともなくうろうろするばかりなのに、君たちは本当に立派だなあ」
十八年前、癌で死を宣告されたとき、ひとしきり混迷した自分が恥ずかしいというものだ。

アマテラスは、とうとう坂を登りきった。
あとは広い車道を横切れば、神宮の森にたどりつく。
しかし、車の通行が激しくて、とても渡れない。そこは信号がなく、歩道橋があるだけだ。とても歩道橋の階段はアマテラスに登れない。

私は彼女を抱き上げようと近づくと、アマテラスはもう車道に足をふみ出していた。自分の力で真っすぐ車道を横切ろうというのだ。

私は慌てて車道に飛び出し、疾走してくる車に向かって手を振った。
「停まってくれ!ストップ」
ブレーキの音を鋭くたてて車が次々と停まった。
「さあ、渡れ。渡るんだアマテラス」
奇妙な初老の男が両手をあげて車を停め、その前を老衰いちじるしい猫がヨロヨロと歩いている。なんとも、その足どりはもどかしく、三歩よろめいて、しばらく休むというぐあい。

非難の警笛が鳴るけれど、何十台の車が停まっているのか、私にふりかえる余裕も、勇気もない。ひたすら非難の警笛が耳に入らないふりをして、アマテラスを励ます。抱きかかえて走れば、あっという間に渡り切れるのだが、彼女が命をしぼり切って行う最後の儀式に、手をさしのべることは無礼なような気がした。

とうとうアマテラスは横断し切った。
彼女の力はつき果てようとしているのは、誰の目にも分かる。彼女の目の前にはコンクリートの柵があるだけである。

「さあ、お入り……」
アマテラスは体を押しこむようにして、昼なお暗い闇をただよわせる明治神宮の森の中に入っていった。

「アマテラス!」
私は彼女の名を呼んだ。もう一度ふりむいてほしかったのだ。
然し、彼女は足をとめただけで、もうふりかえる力もないかのように、森の闇に入っていく。

「ここが公園通りの猫たちの死に場所なのか」
私と深く、深く交際してきた数十匹の猫たちが、立派に『覚悟死』をとげた場所である。

「さよなら、アマテラス……」
私は思わず合掌して、念仏のようにある言葉をくりかえした。

「生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死んで死の終りに冥し」

アマテラスのように壮麗な覚悟死をとげた弘法大師空海が死の直前に発した最後の言葉である。

人も猫も、生命の持つものに変りはあるものか。
アマテラスも、空海と同じように生の終りの暗闇を見ているのにちがいない。

涙があふれ出てしかたなかった……。   (終わり)

……パソコンを打ちながら、私も涙がながれてきた。
そして、車に轢かれて最後をとげてしまった猫を哀れに思うばかりである。




4 件のコメント:

  1. 感動的な文章ですね。飼い猫の死は3回経験しました。2回は家の近くで死んでいて、ご近所さんから連絡があり、すぐ引き取って埋めました。一匹はとうとう行方知れずでした。家で死んだ猫は1疋もありません。

    死に行く猫に対する作者の行動にも感動しました。私たちもいつか死ぬ。それだけは確かです。ご自分の死の場面について想像されたこと、あります?

    返信削除
    返信
    1. 自分の死については、よく考えます。

      自分なりに死に対しては、美学?があるので、寝る時も、朝、起きてこれない状態になってもいいように、最低の片づけをするとか……(笑)

      ある年齢に達するまでに、死について考えていかないと、穏やかに死ねないと思います。なかなか、悟りの心境には程遠いですが……。

      削除
  2. その1で猫を非難しましたが、確かに感動しました。人間は猫のようにはいきませんが、猫は生存中人間様にお世話になったり迷惑かけたからお礼の行動でしょうかね。人間も考えを同じくすれば皆楽しく死を迎えることができますよね・・・・・

    返信削除
    返信
    1. 本来は、猫も犬も、本能的に最後は姿を隠すと聞いたことがありますが、今は、大事にされ過ぎて、本来の動物の本能がなくなったのかもしれませんね。
      看取られて死ぬ猫や犬がほとんどとなっていますもの。

      削除