2012年5月29日火曜日

猫の死 その1


猫が車に轢かれて死んでいるのを見ました。初めてではありません。何度か目にした悲しい光景です。そして、いつも思い出すのが、早坂暁さんの書かれた【アマテラスの最後の旅】という感動的なエッセーです。

早坂暁さんといえば、有名な「夢千代日記」や「花へんろ」を書いた脚本家ですが、こよなく猫を愛する作家としても有名です。ご自分が飼っている猫だけではなく、野良猫をも大事にして、「公園通りの猫たち」とか、「嫁ぐ猫」といった猫のエッセー集も出されています。

【アマテラスの最後の旅】は、短いエッセーなので、2回に分けて、ここに転写させていただき、皆さんにも読んでいただけたらと思います。

 『アマテラスの最後の旅』 早坂暁作

アマテラスの様子がおかしいので、ここ数日はできるかぎり彼女のそばから離れないようにしていた。

アマテラスは、公園通りあたりではもっとも長命なメス猫で、小公園に面したマンションの入り口にいつも座っている。実はこのマンションに私の事務所もあるのだ。早坂事務所だが、だれもそうは呼ばない。宮沢賢治さんの童話に出てくる〝猫の事務所〟と呼ばれている。

私が公園通りに来てから十八年目だが、その時にもう子猫を連れて歩いていたから、少なくとも十八歳以上ということになる。

猫の年齢を人間に換算すると、一ヶ月……一歳、二ヶ月……三歳、三ヶ月……五歳、六ヶ月……十一歳、一年……十八歳、四年……三十二歳、七年……四十四歳、十年……五十六歳、十三年……六十八歳、十五年……七十六歳。と、獣医さんに教えてもらった。

「十七歳以上になると、つまり、キンさん、ギンさんクラスですね」

百歳クラスというのだ。
 どうりで、アマテラスはすっかり恍惚の猫となってしまった。

恍惚……ボケは人間だけでなく、犬や猫もちゃんと恍惚する。犬より猫のほうがボケは遅いというけれど、アマテラスは、背中のあたり毛が汚れてケバ立ってきた。

猫の老化を示すシグナルは、背中の毛の汚れだそうだ。老化すると、体の骨が硬くなって、毛づくろいする舌が背中のあたりまで届かなくなるからである。

同じマンションを仕事場にしている少女漫画家のFさんは、アマテラスのことを「イスズさん」と呼んでいる。女優の山田五十鈴さんのように、老いてますます色っぽいからだ。(中略)

人間が見ても色っぽい猫は、猫が見ても色っぽいらしくて、アマテラスはいつもオス猫にかこまれ、さながら公園通りの女帝のようにして生活してきた。多分、公園通りに住む猫をたどれば、みな彼女にたどりつく。つまり彼女の娘、息子、さらにマゴたちであるから、私はアマテラスと呼んできたのだ。

アマテラスは、うずくまったまま、もう食べる事も、水を飲むこともしなくなった。一番好物だったマグロの中トロを置いてやっても、口を近づけようともしない。

彼女がゆるりと体を起こした。よろよろと山手線の線路の方へ、坂道を下っていく。
 「とうとう死にに行くのだ……」

私はゆっくりとアマテラスの後を追った。

何百匹と、公園通りの猫たちと付き合ってきたけれど、猫たちは一度だってどこで死ぬのか教えてくれなかった。死にぎわがくると、ふっと姿を消してしまうのだ。「巡査」も「ぶっく」も「オートバイ」も、みなそうだった。ビルの谷間や、わずかな空き地をさがしてみるが、一匹の死体も見つけることができない。

「一度だって、鳥やケモノの行き倒れを見たことがありません」

放浪の俳人種田山頭火が話していたが、彼の名をもらった「サントーカ」も、かき消すように姿を隠している。

アマテラスは、よろめいては立ち止まって休む。無理はない。彼女はここ数日、ろくに食べていない。いや今日は水も飲まなかった。

いってみれば、僧空海が死ぬ時のように五穀絶ちをしているのだ。
空海は自分の死期を悟ると自らその日を予告して、その日に向かって五穀を絶っていった。最後に絶つのは水である。死の直前が水絶ちなのだ。

だからアマテラスも水を絶った時点ではっきり死を直感して歩き出したに違いない。
彼女は、山手線にぶつかったところで、ゆっくり左折した。そして、線路ぞいの長い坂をのろのろと登りはじめた。
どこへ行くのか。
おしりからは、赤い血が少し流れている。(明日に続きます)



3 件のコメント:

  1. ごまめさん、私は猫は大嫌いです。と言うのもこの時期に種まきをしてきれいにしたプランタンに掘り返してウンチをしているのです。ご近所の人で猫が好きで飼っている人がいるのです、何とかならないですかね犬のように鎖つけて飼って欲しいですね・・・

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    1. kyamiさん。猫お好きじゃないのね。猫は好き嫌いが分かれますね。
      私もどちらかというと、嫌いでした。ただ、このお話は、「その2」を読んで頂くと分かるとおもいますが、感動します。早坂さん、そして猫さんにも。

      感動しても、猫を飼うことはいたしませんけどね。

      私の家の庭にもよその飼い猫が黙って侵入してきて、玄関横の砂地にウンチをします。失敬なヤツです。猫の嫌がる薬をまくのですが、すぐに消えるのか、またやってきます。

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