以前、何かに書いたものだが、とてもいい話なので、ここで皆さんにご披露しておこう。
トッコさんが、街中で二十年ぶりにある教え子に出会ったときのこと。
「先生、お坊ちゃんはもう大きくなられたでしょうねえ‥‥。今だから白状できるのですが‥‥」
と、こんな話を聞かせてくれたという。
「いつごろだったか‥‥、先生のお坊ちゃんが入院なさって、学校一週間ほど休まれたことあったでしょう。私たち、仲よしが何人か頭寄せ合って心配していたんです。そんなときある子が、『お百度をふんで、子どもの病気が早く直るように神様にお願いしよう』と言ったんです。これは、人に知られたら効果が無くなるらしいから、絶対秘密ということで、生まれてはじめて、親にも内緒でお百度ふみましたの‥‥。子どもさんの病気が直ったといって、先生が学校に出てこられたときの嬉しかったこと‥‥、今でも忘れられませんの‥‥。私たち、本当に先生が好きで好きで、『ほかの先生は好きにならんとこな』なんて皆で指きりしたこともありました」
この話を聞いて、トッコさんは胸が熱くなって、しぱ゛らくは、声が 出なかったそうだ。。
トッコさんは伏し目がちにこんなことをつぶやいた。
「あの時代、正直いって大変だったの‥‥。子どもの病気、下の子の出産‥‥。今から思うと、教え子たちに一番何もしてあげられなかった時なのよね。すまない‥‥というか、何か後ろめたさが残っていたのに、子どもたちから、過分な気持ちを受けていたことを知って、本当に驚いたり嬉しかったり‥‥。もし、私が彼女と出会ってなかったら、こんな嬉しい話も、一生知らずじまいだったのよねえ‥‥」
私はこの話を聞いて、人ごとながら胸を熱くした。
トッコさんは、私の知る限りでは、とても優秀な先生で、どんな時でも決して「その日ぐらし」の先生ではない。充分なことが出来なかったというのは、仕事には厳しいトッコさんの謙虚な自省なのだ。
それにしても、「教師」とは、時には自分の知らない間にも、こんな素晴らしいプレゼントを受けているのだ‥‥と思うと教師冥利に尽きる。
そうは言うものの、教師という仕事は、日めくりがめくられていくような、わずかの手ごたえもなく、空しい仕事のように思えるときもあって、果報な日ばかりではない。
トッコさんにしても、この話を聞いたころ、ある親子のために奈落の底に突き落とされていた。何とか正常な親子関係になってほしいと、誠心誠意関わっていたのだが、悪人呼ばわりされてしまったのだ。それだけに、お百度のはなしなど聞かされて、自分の中の荒れた海面が、ひたおしに凪いでしまったとか。
しっかと挟み込んだ花弁が、教え子たちの胸に、美しい押し花となって張りつけられていることを知ったトッコさん、遠くを見つめるようにしてつぶやいた。
「お百度をふむなんて、長い一生に何度あるかしらねえ‥‥」
いつの時代も、心からの指導を受けた先生のことは、子どもたちにとって忘れられないものである。
ほんとにいいお話ですね。それにしても先生って素敵なお仕事。子供にそこまで思われるのはその方も素晴らしい先生だったんでしょうね。
返信削除時代が変わりました。子供や保護者の考えも違って来ているかもしれません。現役の先生方のお話もお聞きしたいものです。
mimiさんのおっしゃる通りです。
削除子どもも、大人たちも、先生も変わったかもしれません。人間ですから、相手次第で変わっていくこともありますからね。
特に小学校は、親の影響が大きいでしょうね。家で、先生の悪口などは、言わないほうがいいと思います。