2012年5月8日火曜日

親子丼

「食事に文句をいうな!」……親からこう言われて大きくなった。だから文句は言わなかったが、今なら大いに言いたいところである。
今更、祖母や母を責める気など毛頭ないのだが、子どもの頃の我が家の食卓は、一向に変わりばえのしない毎日だった。戦前はけっこう肉や魚も食べていたから、粗末とはいえないのだろうが、目先の変わった料理などにはご縁がなかった。

それもそのはずだ。私の記憶では、祖母が炊事をする日が多かった。母は、世にいうところの養子娘であり、父と一緒に商売を手伝っていたものだから、祖母は娘可愛いさに、炊事をさせなかったのだろう。これが姑だったら、母は仕事が終わったら、炊事をさせられたと思う。昔の姑は、嫁には厳しかった。

昔人間の祖母が、ハイカラな料理など作れるはずがない。祖母は、徳島の田舎の百姓の娘だった。粗末な食事で大きくなっている。

私は食の細い子どもだった。毎度箸を持つと食欲がすぼんでしまうものだから、ひ弱な病気持ちのような子どもだった。
通信簿の身体検査欄には、「栄養要注意、肝油、太陽燈を続けること」と、いつも記載されていた。だから、毎日保健室に行って肝油を飲ませてもらい、週に何度かは、上半身裸になり、水泳のゴーグルのような色メガネをつけて、匂いのきつい太陽燈を浴びていた。今から七十年以上も昔のことなのに、小学校には高価な太陽燈の機器があった。学校の自慢の設備だったに違いない。太陽燈室は、いつも満員で待時間が長かった。

もう、祖母や母のお化けが出てきそうもないので言うのだが、「好き嫌いして何でも食べないから太れないのだ」と、よく叱られた記憶はあるのだが、(何とか工夫して食べてもらおう)などといった親側の努力はあまりなかったように記憶する。これはどことも似たり寄ったりで、そんな時代だったように思ってきたのだが、嫁にきて、その考えがちょっとばかり変わってしまった。

私と年の違わない夫の子ども時代の食生活は、私のそれとは〝月とすっぽん〟の違いがあった。理由はすぐ解った。私の姑は、料理好きで研究熱心なのだ。だから、見た目も味もいい。レパートリーも豊富ということになる。そんな家庭だから、デパートの食堂などで外食もよくしてきたらしい。

私も子どもの頃は、市内の真ん中に住んでいて、ときには母親とデパートに行ったこともあるのだが、外食をした記憶はまったくない。
当時の我が家の経済は、外食が出来ないほど貧しくはなかったはずだが、外食などは贅沢千万と思っていたのだろうか……。
家の近くでは、うどん屋の暖簾や食堂の看板もよく目についたが、そんなところとも、まったく無縁で大きくなった。

 そんな私だが、小学三年生のとき、母親と汽車に乗り、駅前の食堂で、生まれてはじめての外食をする機会に恵まれた。食べたのが親子丼で、ほっぺたが落ちるほどに美味しかったのが忘れられない。

 それから一月ほどして、夏休みに父親に連れられて父の故郷の四国までの長旅をしたのだが、どこへ行っても親子丼ばかりをせがむものだから、父は辟易してしまった……というおまけがつく。

今にして思えば、東京見物もしたし、大坂の叔父さんに逢ったりしたので、味わったこともないあれやこれやを食べるチャンスは何度もあったのに、それをとり逃がしてしまった、ということにもなるから、(うぬーっ、親子丼ごときモノめに……)という気があって、舌打ちものなのだが、それはそれ。今でも食堂で「親子丼」という貼り紙を見ると、幼友だちに出会ったような気分が心中をうねっていく。

 戦後、食文化は随分と変わってきた。子どもの体格と平均寿命を引き伸ばし、そして外食産業なるものまで生み出してきた。
しかし、幼いときの経験が、その人の生き方に、少なからず影響する、ということは、どんな時代になってもまぬがれないようだ。子どもの頃から三度の食事に胸を踊らせて大きくなったという亡き夫は、人生の楽しみの中で、「食」は大いに幅をきかせていた。おかげで、貧しかった私の舌も、恩典をたくさんいただけたと思っている。

ただ、私は今でも「美味しいもの食べ歩き旅」などには興味がない。それは、やはり育ちのせいのように思う。


2 件のコメント:

  1. 少女時代はここに書くのも恥ずかしいような田舎の果てに住んでおりました。学生時代、大阪に移りましたが何せ、終戦を挟んだ前後、食べる物がなくて、一日の食糧が湯呑一杯の大豆なんて言う日々でした。外を見れば空襲で焼野が原。外食どころではありません。ごまめさんの年齢の方とは大きな差ですね。

    その癖が今も残っていて、食べ物を捨てることが出来ません。賞味期限なんてなんのその、です。

    返信削除
    返信
    1. mimiさん、戦前戦後は、どこもよく似たものでした。私も、配給された雑穀に、お米がちらちらというような御飯を無理やり喉を通していました。
      「勿体ない」は、私も同じ。賞味期限なんか樹にしません。鼻が利く間は大丈夫。(笑)

      削除