2012年5月13日日曜日

こんにゃく橋

夏物の帽子を出さねばと思って戸棚をかきまわしているとき、古い写真が一枚戸棚から落ちて来た。吉野川に架かる立派な中央橋が出来たときの記念の写真だ。

写真の整理をしたときに、一枚だけ取り残されてしまったものだろう。小さな名詞ほどのセピア色をした素人写真である。たちまち昔よく渡っていた古い橋の思い出がよみがえってくる。

女学校二年生の夏休み、北海道に住んでいた私たち一家は、父の故郷である吉野川北岸の小さな田舎町に、はるばる引っ越してきた。

何しろ終戦の二年ほど前である。おまけに夏の長旅ときたものだから、空腹の上、汗と煤煙にまみれた、相当苦しい旅だったのだが、取り立てて苦労したような記憶はあまりない。それよりも、何より鮮明に記憶に残っているのが、汽車を下り、しばらく歩いて吉野川の土手の上に上がり、そこから見た吉野川と、それに架かる何とも牧歌的な木の橋の風景である。

しかし、土手を下り、橋のたもとに着いてみると、牧歌的と映った橋も、ひどく貧弱で頼りない橋であった。橋脚には、頑丈な丸太が差し込まれてはいたものの、歩くところは、板を横に並べてある仮橋のようなもので、橋は低い上に狭く、たちまち「恐い橋」に変身してしまった。流れはけっこう早くて、見ただけで目が回りそうだった。
すくんだ足を持ち上げながら、ひと足ひと足に、「落ちるな、落ちるな」と、言い聞かせながら歩いた。

家族は、一ばん後の私を振り向くこともなく、とんとん渡っていたから、恐かったのは、幼いときから〝おじみそ〟と言われていた私一人だったのだろうか。

こんな橋を、俗に「こんにゃく橋」と言われていることを後で知ったが、まったく、こんにゃくの上を歩いているみたいに、落ち着けなかった。
 
やっと渡り終えて大きく深呼吸をし、振り返ったそのとき、驚いたことに、唐鍬を肩に担ぎ、片手で自転車に乗った軽業師のような男が、こちらに向かって走ってくるではないか。もうそれを目にしたときの驚きといったらない。その男の顔はまつたく憶えていないのだが、いつの頃からか、その場面は、名優・高倉健が、唐鍬を担いで登場してくれる。(私、高倉健のフアンです)

こんな私が、軽業師と同じことをするようになったのは、しばらくしてのことだった。ある時期、私は通学のため家から駅まで、自転車で通ったのだが、橋の上も、自転車に乗ったまま突っ走るようになったのだ。慣れるということは、たいしたものである。

といっても、初めは皆のモノ笑いになりたくない一心で、決死の思いで渡ったのだ。「ええいっ」と気合いを入れた胸をドッキンドッキンさせながら、友だちの後に続いて橋の上に突入したのを憶えている。

そしてひと月もすると、私は橋の上も畳の上も同じようなものになった。吉野川が増水して、水がこんにゃく橋のすぐ下まできていても、宿題のことなど考えながら、平気で走った。(お腹はいつもすかしていたが、私の生涯の中で、いちばん元気なときだつたように思う)

吉野川が増水すると、こんにゃく橋は、橋脚を残して跡形もなく流されてしまうことがよくあった。たかだか、板を並べたような橋であっても、無くなるとこの上なく不便になる。橋が修復出来るまで、渡し舟がそれに代わったのだが、それもまた思い出深い情景である。

世の中が豊かになって、吉野川には、次々と土手から土手へ、立派な橋が架けられてきた。もう、雨が降ろうが槍が降ろうが、びくともしない橋の面構えは、力強くて頼もしいのだが、話しかけたいような思いはあまりない。

口惜しいが今はもう、自転車に乗ったまま昔のように、こんにゃく橋を突っ走る元気はまったくないのだが、老いてくると、やたら昔が懐かしい。歩いてでも一度ゆっくり渡ってみたいと思う。……こんにゃく橋の一つくらい、この長い吉野川のどこかに架かっていてもいいように思うのだが、残念ながら、お目にかかっていない。

 

2 件のコメント:

  1. 何でも慣れる事が大切なんですねえ。初めは緊張しても慣れるとなんでもなくなる。どんな場合もそうですね。

    こんにゃく橋は聞いたことはありますが、渡った事ははありません。何しろ山の子ですので、川や海の事はは全く無知です。

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    1. そうですね。慣れることです。慣れて油断するといけませんけどね。
      私はほんと「おじみそ」でしたから……。

      mimiさん、おじみそって言いますでしょ? 辞書にはありませんが。
      何でも怖じる人のことを。 
      私はよく言われました。今でもおじみそですが。(笑)

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