2012年5月18日金曜日

富士山

山梨で開かれる会合に誘われて出かけていました。貸切バスで15名ほどで行く気易い旅です。会は行った日の午後と翌日の午前。まる一日です。私など、行っても行かなくてもどうということなかったのですが、その後、山梨美術館、富士をぐるりと巡り、色々と観光をして帰ろうという計画なので、そちらに魅力があって、誘われるまま参加してきました。

だれでも富士山は大好きと思いますが、私は格別、富士山を見るのが好きで、見飽きることがありません。美しいものは、何の知識も説明も不要。ただただ感動するものです。写真や絵葉書では体験できない心の洗濯をしてきました。

私が初めて本物の富士山を見たのは、小学校の3年生の時でした。夏休みだったので、頭に雪を頂いた富士山ではなかったと思います。あまり記憶に残っていません。むしろ、銭湯で毎日のように見ていたタイルに描かれた富士山の方が、鮮明です。

その後、何度か新幹線でお目にかかったり、富士を見る目的で旅をしたりしてきたので、珍しいわけではありませんが、富士だけは、何度でも見に行きたいと思います。

旅の二日目、三日目は、観光日和で、富士も堪能出来ました。
仲良しと富士を眺めながら、「ああ、こんなところに住んでいる人は、羨ましい。このあたりに嫁に来たらよかった」と言ってしまって横をみますと、仲良しは数歩も離れて花を見つめています。その代わりに見知らぬお爺ちゃんが傍にいました。

そのお爺ちゃんは優しい人らしく、返事をしてくれました。「たまに見るから感激するだろなあ。毎日見てたらま、当たり前の景色やからなあ……」と。
私は慌てて「そんなものかもねえ。ほほほっ」と笑いますと、
「嫁はんといっしょやな。美人でもお多福でも、慣れたらどうってことないもんな。はははっ」
と言いながら、先に行きました。

こんなこと思い出しました。佐藤春夫が何かに書いています。『景色のいい所で住むことは、美人の妻と住んでいるようなもの』……いや、美人が先だったかな? どっちにしても、悪いことでありません。

(ついでに云っておきますと、『気のいい女と住むのは、間取りのいい家に住んでるようなもの』とか、書いてありました)

人間が作ったモノにも、美しく素晴らしいものは、たくさんあります。山梨美術館も、たくさんのミレーの作品、その他すばらしいものが多々ありました。でも、自然が教えてくれるものには敵いません。

長い年月を生きてきましたが、同じ日が無いように、同じ自分もありません。それと同じように、その都度変わってきた私が見る富士は、いつも新しい富士を見ています。

今回も、途方もなく大きな生命体としての地球、そして途方もなく小さな一粒の私を、富士は、一体化してくれたように思います。
一時ではありますが、『自分が一生を終わる』ことなど、些細なことと思えました。

いい旅をありがとうございました。




2 件のコメント:

  1. ごまめさん、お帰りなさいお天気で富士山も見えてよかったですね。最近は感動することがありません、旅をするのが良いのかもね、、、ブログの中の言葉面白いですね、景色と間取りのこと主人に言ってみようと思います。帰ってくる言葉は分かります、ブスで気の強い嫁はんとね

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    1. kyamiさん。夫さんに「貴方は、景色のいいところで、間取りのいい家に住んでいるようなもの。、幸せ男ね」と、言って差しあげたらどうかしら。(^^)「

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