2012年5月3日木曜日

憲法記念日に思う

今日は、憲法記念日。もし、街を歩いていて、「憲法改正についての見解を……」などとマイクを突きつけられたら、私は何と言うだろうか?と問うてみた。
憲法改正反対とか、護憲か改正かとかの論議が随分と繰り返されてきた。衆参両院も、2000年から、憲法調査会が活動しているはず。改正案はできあがっているのかないのかも、私は解からない。特に安全問題は、どちらもそれなりの理屈があるものだから、一向にまとまりそうもない。市民の関心も有るようで無いようで、これも掴みがたい。改憲論者だって、足並みは不揃いなのだ。

それにもかかわらず、何となくキナ臭い周りの状況で、自衛隊が忙しそうにしている。
日本の国が、やくざな国に囲まれていて、いつ、なん時殴り込まれるか解からない状況下である、という危機感は、最近、多くの人達が感じ出したのは事実だろう。「丸腰ではどうにもならん。白旗あげるしかないぞ」という再軍備派が、ぬっと頭を持ち上げた気配がある。
「しかし、戦争なんてことにはなるはずがない。平和憲法があるから、殴り込みたくても殴り込めないだろう」と言う人もるし、「どちらがほんとうなのか、中国や北朝鮮に聞きに行く国会議員はいないのか」なんてふざける人もいる。
国民の間から真面目に「改正運動」などは、起こりそうもない。護憲派の署名運動くらいしか目にしない。

ただ、「戦争放棄・平和憲法」と言うもののお蔭で、どこの国からも一目おかれ、60数年、戦争のど真ん中に引きずりこまれなかったのはありがたいことだった。
アメリカさんの言いなりに、たくさんのお金をむしり取られたような思いはあるのだが……。

かの敗戦当時の国民は、「もう、どんなことがあっても、戦争だけはやめてくれ。叩かれても踏みつけられても戦争よりマシだ」の心境だった。
それくらい戦争を憎んでいた。
今の日本人に、それだけのことが言えるだろうか?とも思う。

この不戦の精神だけは、変えてくれるな、ということは戦中派としては声を大にして叫ぶ。
万一、敵が攻めてきたら降参するのか、と問われたら、はいとは言えない。正当防衛として、敵を追い出してもらわないと困る。追い出すのは、日本の領域のみで、追いかけてはいけない。(どこの戦争を見ても、とことんまでやってしまう傾向がある)そんな追い出す役目は、アメリカさんにお願いします、というわけにはいかない。占領国じゃないのだから。

こんなことを考えていると、今のままでは、随分と憲法解釈を拡大していかなければならないような気もする。
あまりいいかげんな解釈をすると、憲法そのものが不安になってくる。

今のあいまいな解釈を続けていくと、何か起こったときには、どさくさまぎれにどんなことになるか、という事を考えると、しっかりと議論をして、私たちの幸せと安心を保障してくれる憲法に改正してもらいたい気持ちになってくる。
といっても、これもなかなかできそうにない予感もするのだが……

2 件のコメント:

  1. どれだけの国民が今の憲法の内容を熟知しているでしょうか。知っているのは自分に都合のいいとこだけ、と言う人が多いのでは??

    改憲、護憲を言う前に憲法熟知運動をするべきでは・・・

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    1. なるほど。憲法しらなくても暮らしていけるものね。
      憲法熟知は難しい。でも、肝心な所はよく知っていないとね。

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