2012年6月1日金曜日

更衣(ころもがえ)


6月になった。水無月という呼び名もあるが、昔は陰暦の六月を指していて、梅雨も明け、激しい陽射に水も枯れるというところから、水無月という名になったらしい。

6月といえば更衣。

いつの頃からか、はっきりとした衣更えの習慣はなくなっているようだ。
5月であっても暑ければ冬の上着は脱ぎ捨てて通学している学生は多い。
それでも【更衣】ということばは、何となく夏が来たという実感が湧いてくる。

和服とはご縁のない私なので、別に大したコトをするわけではなのだが、それでも、夏を迎える心準備のようなものがざわざわして、慌てて冬物も箪笥の奥に仕舞ってしまう。

昔、母たちの時代は、六月一日のその日から、着物は夏物に変わったものだ。
ぴりっと音をたてて、カレンダーを破るように情景が変わった。
季節によって、着るものを楽しむような風情があったようにも思う。
やはり、和服の時代ならではのことだろう。

太陽の加減では、冬でも半袖シャツになるという外国人を、私たちは異様な光景と思った時代があったが、今は外国なみのことを平気でやっているご時世となった。
これも洋服なればこそ、出来ることで、いかにも合理的である。

不思議なものである。浴衣よりも、木綿のアッパッパーの方が、ずっと着ても涼しいのだが、手足を出す分、情緒は拡散されるのか縮小されるのか、浴衣姿のほうが涼しげである。

「衣替え」ということばで連想するものに、頃も同じくする「植田」がある。

我が家の周りは田んぼで、裏作のニンジンを収穫したあと、商品にならない割れたニンジン、二股ニンジンなどが、ごろごろ転がっていた。

二日前にはすっかり風景が変わって、いつ田植えをしても良い状態になって、水面に夕空を写していた。

そして今朝は、早くから田植え機の音が聞こえていたのだが、外に出てみると、早苗が絣模様に差し込まれて風になびいている。このすがすがしい景、これこそ衣更えと言いたい風景である。昔のような情緒は無いが、近代農業の逞しさがあって頼もしい。

草木の緑もますます色濃くなってきた。
梅雨の季節も近づいてくる。肌寒い日があったり、汗を流す日もある気まぐれな6月だが、今年も体調を崩さぬよう、気を付けていきたいと思っている。


2 件のコメント:

  1. 衣替え、すっかり忘れていました。この頃のように気温が不安定ですと、春なのか夏なのか、それさえ分からなくなりました。さすがに冬だとは思わなくなりましたけどね。

    今日から夏、ときっぱり袷から単衣に変えた時代、遠い日を思い出します。

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    1. 衣替えも、最近は、節電の為の衣替え。風情はありませんね。(笑)

      遠い昔を懐かしむのもいいものですね。
      母の着物姿など思い出します。

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