2012年6月9日土曜日

音楽


今の子供たちと、我々の子供時代と比べてみると、『環境の大切さ』ということがよく解る。その一つが音楽教育である。

テレビもラジオも無かった私の幼児時代の音楽といえば、手回しでネジを巻いて聞く蓄音器だけだった。そのレコード盤のほとんどは、祖母の好きな義太夫、浪花節がほとんどで、数少ない歌といえば、市丸さんの歌う東京音頭や民謡程度。子どもの童謡などはめったに買ってはもらえなかった。

幼稚園に通い出して、先生のオルガンに合わせて歌った歌は、『鉄道唱歌』の替え歌で、「すずめがチュンチュンないている。早く起きないと遅くなる……」と言う歌詞の『朝の歌』『君が代』『さくらさくら』『十五夜お月さん』『かごめかごめ』『雪やこんこ』の歌くらいしか思い出せない。

小学校の音楽だって、いい加減なものだった。

ああ、こんなこともあった。

小学校4年生の時、担任の先生が休まれた。音楽の時間に、太った女のA先生が代わりにこられた。A先生は、式のときに歌う『君が代』のピアノを弾く先生で、いわゆる音楽の主任の先生なのだ。

私たちは、先生にお願いした。「先生、歌を歌ってくださーい」と。お声がとてもきれいで、優しい声なのだ。

いつも担任の先生は、オルガンやピアノは指一本か二本で間違いながらでも弾いてくれるのだが、歌は得意でなかったらしく、ほとんど歌ってはくれなかった。

「そうですか?聞きたいですか?では上手ではありませんが歌いましょう。『荒城の月』という、有名な歌ですよ」とおっしゃって、ひどく甲高い声で歌い出された。ソプラノの、きれいな声のはずなのに、私たちは、そんな高音の美声は聞いたことがなかったものだから、驚いて一斉に笑いだした。

さあ大変。先生は、ぴたりと歌うのを止めて、真っ赤になって怒りだした。

「何がおかしいのですかっ。ええ、私は下手ですよ。下手ですとも。皆さんのように、うまくは歌えませんよ!」と、声を震わせているのだ。

先生も先生だ。子ども相手に、そんなに怒らなくてもいいのにと、今では思うのだが、若かった先生は、本気になって子ども相手に怒ったのだ。

もう私たちは、ますます笑いが込み上げて来て、どうしようもなく、下を向いて奥歯をぐっと噛みしめて、口を真一文字にして、肩を震わせ笑いに堪えていた。その苦しかったこと。

もう先生の話など、耳には入らなかったが、4分か5分くらい、私たちのことを罵倒して、荒々しく教室を飛び出して行った。

笑い疲れた私たちは、あとから来た教頭先生に、しこたま叱られたが、決してA先生をバカにして笑ったわけではない。そういう本物の歌や美声なるものを聞いたことがなかっただけの話なのだ。

今の子なら、こんなことはない。ちょっとテレビをつけたら、オペラでもなんでも見ることが出来るのだから……

ま、私たちの受けた音楽教育など、無かったも同然。リズム感覚も育つことなく、今も歌える歌などしれたもの。小学唱歌に軍歌。それに演歌ぐらいで、ニューミュージック類は、リズムが難しくてなかなか歌えないのだ。これは、私だけではなく、ほとんどがそうなのだ。

それにくらべると、戦後の子ども達は、母親のおなかの中から音楽を聞いて育ってきた。もう生まれた時からリズム感が違う。そしてテレビもラジオも音楽が満載だ。耳もよくなるはずである。

幼稚園の子が、私の歌えないようなリズムに乗ってお遊戯をしながら歌うのだから、大したものだ。

この戦後の環境の変化は、音楽だけではない。色々な発達をもたらしている。食生活の変化も、子どもたちの身長の伸びで良く解る。親より大きい子がほとんどだ。

しかし、環境の変わりようは、よいことばかりではないのも事実。反省させられることも多い。

その第一は、家庭で小さい時から学習させなければならないことを、自由だなんだといって、してこなかったこともそうだ。叱らなければ育たぬ習慣もあるのだ。今の子供たちの生活態度にも表れていて、問題となっている。

心すべきことである。




2 件のコメント:

  1. 生まれつき音痴の私は音楽と聞くと耳を塞ぎたくなるんです。どうやら遺伝らしくて、親戚一同みんな同じです。

    いい遺伝も悪い遺伝ももらって自分が出来上がっていると思って、納得しています。

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    1. mimiさん。音痴というのは、ないそうですよ。
      私の母の歌は、子どもながらに音痴と思っていましたが、きちんと指導をうければ、正しく歌えたのだろうと思います。そんな機会がなかったのでしょうね。私も、音程が外れようはずれようとします。音程がとりにくいのです。自分で解かります。だから、難しい歌は音程がとれず、歌えません。耳の感覚も悪いのでしょうね。

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