2012年6月7日木曜日

徳島県というところ


その昔、他県の人達に、「へえー、電車走ってないの? めずらしいわねえ徳島県は」ということを言われていた。

そのあとは、電車が高速道路に代わって、「高速道路ゼロメートルの徳島県」と、かるたの文句にもなりかねないほど言われてきたのだが、やっと短距離ながら汚名?を返上することができたのは、平成に入って数年もしてからだったろうか。

当時、『悲願の高速道路』と大きく見出しの出た新聞を見ながら「ああ、やっと出来たわねえ。これで汚名返上ね」と夫に言うと、「今頃出来たというのも恥ずかしい」なんて言った。

この高速も、最初の基本計画決定から、たしか30年近くもかかっていたから驚く。反対運動が長すぎたのが遅れの主原因らしいが、これも県民性であろうか。

話しは逸れるが、「ともあれご祝儀ということで高速を走ってみましょうよ」と、夫を誘ったが、「あほくさい。用もないのに走れるかっ」と、鼻にもかけない。
そりゃそうだ。おっしゃる通り。私も、一人走ってくるほどの興味もなかったので、素直に引き下がった。

夜中の1時過ぎだった。夫に起こされた。
「おい、高速走りに行くか。今なら空いてるわ。走ったるわ。早く用意せいよ」と言う。
何となく私のために走ってくれるような口振りなのだが、本当のところは、早くから眠ったものだから、目が醒めて退屈したのだろう。

こうなったらもう、用があってもなくても、夫に従って助手席に乗るしかない。眠たい目をこすりながら、お伴して、私の住む町のインターから、終点の脇町インターまで、往復1800円を支払ってきた。
50分足らずの快適?ドライブ代である。

周りの景色が見えるわけもなし、ただただ走っただけだが、車中の夫の話には、興味がわいた。

「高速道路とは、何という大金喰いかのう。わずか300キロほどの道路に、入れ上げた金高は、1146億円。1キロメートル36億。27.7メートルごとに1億円を積み上げたことになるんぞ。せっかくの高速道路にケチなどつけるつもりはないけど、これだけのお金が身障者の福祉に使われたら、大きなことができるやろなあ」(夫は現職時代、身障者の教育にかかわっていた)

正直いって、私個人は、徳島に高速道路がないために、不便で困った経験などは一度もなかったから、新聞に書いてあるような〞悲願達成〟などというような心境とは程遠いし、以後は滅多に利用することもなかったのだが、しかし、高速道路は動脈血管。素直に喜こんでいたのだ。

子どもを一人か二人しか作らなかった年代の者は、ほとんど子どもなどアテには出来ないことを知っているから、いつも体内で、老後の不安が発酵していた。命が余っても、堂々と「病気でもボケでもどーんとこい」という福祉社会が悲願である。身障者ならなおのことだろう。解からなくもない。

話しをもどそう。

先日、四国に新幹線を!ということが新聞に出ていた。『新幹線の無い四国』が、汚名とは思わない。でも『時は金』の時代なので、移動が速いにこしたことはないだろう。

ただ、四国と本土を結ぶ橋が三本も架かって喜んだ反面、徳島はどれだけプラスになったのか?と思うこともある。

繁華街はシャッター街。お金持ちは、神戸・大阪に買い物に行く。日帰り観光客が増えたり、徳島を素通りされる……という現実もあるのだ。難しい問題である。

便利な生活と引き換えたものは多い。原発事故で、イヤというほど知らされた。

『満足』ということを忘れたり、『足るを知る』ことがなければ、いつかはシッペ返しを受けなければならないのでは、と老婆心ながら心配している。

                           


2 件のコメント:

  1. お久しぶりです。

    「汽車」という言葉が日常的に使われている地は、日本中探しても余りないのでは? 大抵 電車ですよね。私も故郷へ帰ってきて1両車が走っていて、かつ 車内で切符売ってるのを見て、つくづく田舎なんだあ、と思いました。

    私自身は本四道路で、娘と近くなって恩恵を受けてる方ですが、やっぱり、人間の欲望は果てしないんだなあ、と思います。欲望のまま突っ走るとどんな世の中が待っているやら・・・もっとも、その頃は私は世の外ですが・・・

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    1. 私たちの世代は、『汽車』ということばは、蒸気機関車の鉄道列車も、電気で走る鉄道電車も全て『汽車』と言いたいですね。電車は、チンチン電車。(笑)
      私たちはもう大きな渦に巻き込まれて生きているものですから、橋でも道でも、便利になれば喜んで使うしかありませんよね。あとは野となれ山となれ。死んだあとのことまで心配しても仕方ないです。(;;)

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