2012年6月18日月曜日


最近、人の顔が憶えられなくて困っている。

特に若い男女の顔が憶えられない。皆よく似ているのだ。目といい鼻といい……。
どこかで会っているはずなのに、挨拶されても思い出せないことがよくある。。

【嵐】とかいう若い男の子のグループがよくテレビに出てくるが、誰一人として憶えられない。あまりテレビを見ないこともあるが、それにしても、巷やあちこちにポスターも貼られているのだ。

朝ドラはよく見ているのだが、朝ドラに出てくる顔は、そのうちに覚えることができるのだが、終わると忘れてしまう事が多い。

スナップだかスマップだかしらないが、あのグループも、憶えているのは二人きりだ。その二人なら、「ああ、あの何とかいうグループの男の人だ」と、やっと解かるようになった。

有名な48人の少女が歌っているらしいが、そんな顔は、誰一人として憶えられない。

世の中は色々な人がいるもので、グループの中での人気投票を、総選挙とか何とかいって、お金を出して投票の権利を買うことまでして参加した人が大勢いたらしい。私は「凄いことするのね」とは言ったものの「バカバカしいことするのね」という裏張りのある言葉なのだが……。年寄りの僻みと言われればそれまでだ。

私が誰一人の名前も憶えられないのは、憶えようとしないことも原因だが、昔の役者さんのように、特徴があるのかないのか、私にはよく似た顔としか写らない。

それに比べると、今でも、知らない人に出会っても、忘れられない顔がある。若い人ではない。
旅先の仲居さんが、オトワノブコさんをちょっと悪くしたような顔だったり、ワカオアヤコの妹みたいだったり、野菜を売るお母さんが、キキキリンさんがメガネかけてるみたいとか、山道を歩くのは、宇野重吉が鬘を被っているようなお婆ちゃんだ、なんて思って気持ちを遊ばせるのだが、むろん今の若いタレントさんの顔など浮かんでこない。
トシをとるということは、こういうことでもあるのだろう。

贔屓なもので、『高倉健』なら、茶髪の鬘を被ってスカートをはいて出てきても解かる。
高倉健の映画を特別たくさん観て来たわけではないのだが……。

贔屓といえば、子どもの頃、祖母が身贔屓の強い人だったものだから、孫の私を前にして「いい顔しとる」とか、「○子は器量よしじゃ」とよく言われた。
小学生終わる頃までは、祖母の言うことを本気にしていたのだが、女学生になると、それがまったく的が外れていることに気がついた。(ちょっと気がつくのが遅すぎるのだが)周りには、自分よりずっと器量よしがたくさんいることに驚く。かなりのショックだった。

私が祖母にそれを言うと、「○ちゃんの器量のどこが悪い?」と、またまた言うのだ。

母にそれを告げると、「あんたも小さい時は器量がよかったのだけど、『貧乏人の子と樫だんごは3つまで』っていうことだわね」と、笑う。
育ちのええ子、家柄の立派な家の子は、可愛いまま、大きくなるらしい。
大きくなるにつれて地がでてくるのか、家に似合いの子になるようだ。

それにしても、祖母の身贔屓にはひどく迷惑をこうむったと、今でも思っている。
でも、祖母の愛を、たっぷりといただいて大きくなったことを忘れたことはない。

2 件のコメント:

  1. 私も祖母と仲が良かったように思う、小学生頃祖母と一緒に出かけると出会う人に色白で髪が黒くて可愛いと言われたが顔がきれいと決して言われなかった。大人になるにつれて低い鼻が気になり祖母に相談した鼻を高くする手術(私の若い頃流行っていました)をしたい、と祖母はあんたの顔に相応しい鼻を神様がつけてくれていると言われ諦めて今日に至っています
    綺麗な顔の人は何かにつけて何倍も得ですね・・・

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    1. >あんたの顔にふさわしい鼻を神様がつけてくれている

      祖母様の名言ですね。いい言葉です。

      神様の作品に、整形手術など必要な顔はめったにありませんよね。

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