2012年6月25日月曜日

映画「エンディングノート


昨日、ちょっと変わった映画を観てきました。


主人公砂田知昭は、高度成長期を熱血営業マンとして駆け抜け、退職して2年後に、毎年欠かさず受けている検診で、すでに手術不可能の肝臓癌を告知されます。

死の宣告を受けたにもかかわらず、残された時間をユーモアと活力を最後まで失わず、前向きに生きようとするその姿と、それを暖かく見守る家族の様子を、娘である砂田麻美が、感動のエンターテインメント・ドキュメンタリー映画に仕上げたものです。ですから、この映画を創ったのは、娘であり、娘の撮り続けた膨大な家族の記録であり、娘の第一回監督作品でもあります。


【死】を目の前にして、この映画の主人公が取り組んだものは、自分の人生をきちんとデッサンしておかないと、残された家族は困るはず、ということで、死にいたるまでの段取りを成し遂げました。人生最後の最後までを自分の目や足で確かめながら、素晴らしいを迎えるのです。


死は、だれもが迎えなければならない人生最大の山でありますが、ここまで家族の生と死という重々しいテーマを、哀愁とユーモアを交えながら、軽快なタッチで、描きだしたのは、何とも言えない感動でした。

この監督は、幼いときから、カメラを持ち、色々な物を撮り、大学卒業後は、映画監督助手として、映画の製作にたずさわってきたとのことですが、流石はプロ。もし、父の死という現実に、カメラを捨てて親に抱きついたなら、こうした感動を私たちに与えてはいただけなかったはず。心を鬼にしても、撮り続けた根性は見上げたものです。

また、親として、自分の最後を娘のために、世のために、「よきにせよ」とばかりに撮り続けさせたこの親心にも感動しました。

そして私たちの避けては通れない死というものの重さを、ぐっと身近にそして軽くしていただいたような、大きなお土産をいただいて帰ってきました。


【エンディングノート】は、遺書のようなものですが、法的な効力は持たないそうで、家族への覚書のようなものです。彼は、ことこまかに、お葬式の当日のことはもちろん、死を知らせなければいけない親族の名、墓、仏教の家ではあるが、近くの教会で葬儀を行うこと、また、最後には、洗礼を受けることなど、何の落ちもない準備をし、可愛い孫や医師、年老いた自分の母にも感謝のことばを、妻には、「愛してるよ」と、宝石のようなことばを残して69年の一生を終え旅立ちます。


私も見習いたいことばかりですが、自信はありません。せめて、近いうちに書いておきたいと思っていた『エンディングノート』だけは書いておかねばと思っております。


4 件のコメント:

  1. 私は、これから家族や周囲の人たちに感謝をしながら、楽しく明るく過ごして一生を終えるように行けたら良いなと思っているところです・・・一日でも実行できるように心がけて行きま~す。

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    1. kyamiさんには、まだ先のことでしょうが、私のようなトシになりますと、死は、仲良しの仲間のようなもの。色々と考えさせられました。

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  2. エンディングノート今流行?しているようですね。本屋にはいろいろな形式のノートが出回っていると聞きました。

    でも、ちょっと面倒ですね。ここへ入るとき、7年前に私もざっとまとめました。娘に渡そうとすると、「まだ早いよ」と拒否されたので、まだ私の手許にあります。その時と今と比べると情勢も変わったし、お互いの経済状況、家族環境、みんな変わってしまいました。

    癌のように余命が大体想像できるときは結構いいと思うのですが、老衰死の場合は何時どのような状況でこの世を終われるのか誰にも予想できないのが困ります。

    私の場合、尊厳死宣言書は、主治医に渡し、了承されています。家族もこれは了解済みです。

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    1. 書いて置きたいと思っても、なんとか動いているうちは、なかなか書けないものですね、遺書とかエンディングノートとかいうものは。
      本屋で目につく度に、手が伸びるのですが、ま、もっとあとでもいいか、なんておもってしまうんですよ。(笑)でも、こんど目についたら、買うつもりです。

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