2013年5月31日金曜日

お付き合い


「お付き合い」という言葉は、何となくいい感じのするものだが、これが「義理」となるとちょっとめんどいことになるようだ。

近しい人から、電話で相談があった。以前、夫と付き合いのあった人が亡くなったのだけれど、どこまで義理をはたすべきか、ということだ。無論、夫さんが亡くなったときは、香典をいただいている。でも、同町の方だが、その後のお付き合いはまったくないという。

私の答えは、「義理を欠くというのは、相手に対して、当然しなければならないことを欠くことだけれど、夫さんのときは、それなりのお返しをしていることだし、その後のお付き合いがないのだから、別に義理を欠くということではないでしょう」ということだ。

義理を欠くとか、礼を欠くというのは、お付き合いの相手を傷つけたりする場合は考えるべきだが、そうでなければ、自分の置かれた環境(例えば年金暮らしになっているとか、商売を止めているとか)によって失礼してもいいものだと思う。

よく言われることに、「年をとったら、もう義理を欠きましょう」と。
限られた年金暮らしの中で、負担になるような義理は、欠いてよろしいという教えだと思う。

お付き合いで一番大切なことは、心であって、自分にも相手にも、あまり負担をかけずに、精神的に豊かなお付き合いをしていくことが大切なのではないかと思っている。

2 件のコメント:

  1. ハウスで食卓を共にしている方が、ごまめさんと同じ教師です。90歳ですが、みためはしっかりしていらっしゃいます。

    この間、知人の訃報が届いたので、どうしたらいいか悩んでいる
    と言います。市内ですが、ここからはかなり遠い。「遠慮していいんじゃない。行けないでしょう」と私。「それが家族がどうしても来て欲しいっていうの」彼女。「だったら仕方がないかなあ」で、出掛けられましたが、行ってみると会葬者は、足元よろよろ、白髪の人ばかりだった由。

    考えさせられました。

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    1. >会葬者は、足元よろよろ、白髪の人ばかりだった

      長生きした方の葬儀には、こうしたことになりますね。

      ある老人会の役を長くしていた方が、「わしは、随分たくさんの人の葬式にでて、香典もたくさん持って行ったけど、わしの葬式のときは、だれも来てくれんやろなあ」といって亡くなった老人。その通りでした。

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